みんな元気ですか
紀元前3世紀のおはなしです・・・
日本の黎明期を2~3世紀に切り開いたのはスサノオとその息子
二ギハヤヒでした。
それ以前に秦の始皇帝の命を受け徐福が日本にやってきます。
目的は巷間伝えられているように不老不死の妙薬を探すこと
などではありませんでした。
その証拠に徐福は5千人を超える集団で日本に移住しているのです。
上のシリーズでも明らかにしておきましたが当時の中国には
そのことに関する多くの記述が残されています。
日本側にはことごとくその事実が残されていません。
しかし日本全国にかなり広い範囲で徐福が移動した足跡を
伝える伝承が残っています。我こそが徐福上陸の地であると
はばからず宣言する市町村が数多くあるのです。
徐福の大集団での日本への移住の事実はどこかの国で蓬莱山を
探すというおとぎ話にすり替えられ、事実が意図的に消されています。
尋ねた国が日本ではないという事になってしまっているのです。
事実が意図的に消された理由は明白だと思われます。
古事記・日本書紀とつじつまが合わなくなるからです。
当時始皇帝の秦の国は間もなく終わりを告げようとしていました。
始皇帝は地下帝国にピラミッドや兵馬俑を築くのに忙しく
していた時代でした。徐福を日本に送り込んだのは秦の国を
日本で再興する目的があったのかもしれません。
そして再び命を得る・・・
それが「不老不死」の意味だったのかもしれません。
あるいは始皇帝の祖先であるダビデそしてモーゼが目指した
東の太陽が昇る国で緑豊で平和な「約束の地カナン」を
「カンナガラの地」に求めたのかもしれません・・・。
徐福は上陸すると日本全国の地形や豪族の勢力調査を開始します。
この調査活動こそが日本全国にある「徐福が来た」という伝承の
もとになっていると思えるのです。
その情報はスサノオ・二ギハヤヒに余すことなく活かされました。
日本が国としてまとまることが出来たのは・・・
あるいはスサノオ・二ギハヤヒが日本を統一することが出来たのは
徐福の下地作りに負うところが大きいのです。
続きはまたね・・・
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(兵馬俑のおびただしい数の兵士達・・・)