みんな元気ですか
先日僕は始まりの終わりという壮大な哲学的命題(?)に取り組んだ
(よければ10月15日の記事参照してね)
そう・・・僕にもみんなにもお父さんとお母さんがいてそのお父さんとお母さんとにもお父さんとお母さんがいる。
そしてその先もずっと続いてゆく・・・
何処までいってもきりがないけどそれには必ず行きつく先の始まりがある・・・(だろうと思う)
そこまで行くことが出来たらそれが始まりの終わり
これは多分何処まで行ってもそのまた先があるかもしれないから一応の区切りがあると考えることにした。
きょうはその区切りの探求
で、僕は思った・・・初めのお父さんとお母さんは僕のお父さんとお母さんだけど、みんなのお父さんとお母さんでもある。
だから僕はみんなと友達になれる。だってもともと一緒だったんだから・・・
いまは別れているように見えるだけなんだよ・・・きっと
僕は違うことも考える・・・
お父さんとお母さんとそのまたずっとっずっと前のお父さんとお母さんとをある時期区切ってぜーんぶ足したらきっとすごい数になる。
でもそれってあり得ない・・・だってそんな数が地球の上にいたらだれかこぼれおちるよ。
ひえー
それにみんなの先祖の誰一人欠けていたらみんなも僕も生まれていなかった・・・(多分)
だからみんなの存在は何兆分の一(もっとかな?)の確率。
お猿さんが遊びでワープロたたいて偶然に感動の小説が出来る確立と多分おなじくらい。
だからこれはもう偶然じゃない。そのお猿さんは何かに書かされている。
で、みんなひとりひとりが何か理由があって生かされている・・・
と思うのはあまり突飛じゃなくなる・・・
だれかが夜空の星をみたら人間の悩みなんてちっぽけって言ってたけどこれもおんなじ感じになるよ・・・
でも僕は思うんだ・・・
初めにはそんな沢山のお父さんとお母さんはいなかった。
沢山でもないし少しでもない。だって少しいるとしたらそのまたお父さんとお母さんがいることになるし・・・
だからそれがどうしたの・・・って感じの話だけど
僕は思うんだ・・・
多分始まりは地球そのもの・・・
それが始まりの終わり・・・そして一つの区切り。
いまはみんな別々だけど初めは一つだった・・・
だから友達の友達はみーんな友達・・・
・・・になれないのはどーしてだろう・・・
(疑問は壮大・・・)
(ご飯はチョーダイ・・・ってだじゃれかよ)