みんな元気ですか
昨日の続き・・・
1930年前後からの上海は世界的にもっとも近代的な都市だった。
さかのぼること50年くらい前に英国は上海を中国から実質的に割譲し自治権を確立、治外法権の街を作った。
アヘン戦争の結果だった。
フランス、アメリカなど列強もこれに割り込んできた。
弱体化していた当時の中国政府と条約を結び、強引に割譲地としてみとめさせた。
日本も1930年ころからここに権利を主張した。
これらの国の治外法権を持った地域を上海租界と言う。
日本の租界は法的な租界ではない。
中国との条約はなかったがなし崩しに権利を得た。
各国は自分の地域をフランス租界とかイギリス租界と呼んだ。
日本も日本人が多く住む地域を日本租界と呼んだ。
この上海には多くのよそから来た中国人犯罪者が流れ込んだ。
治外法権のために中国警察の捜査の手がそれほど及ばなかったから。
外国人も多く流れ込んだ。当時ここではパスポートは必要なかった。
このため上海は魔界ともよばれ麻薬売春など犯罪の巣窟だった。
しかし各国の自治警察のためにそれなりの治安は危ういバランスの上に保たれていた。
それに中国の警察も列強の租界の顔色をうかがうことが当時は最上の策だったために租界内での強引な犯罪捜査はなされなかった。
上海はそのために当時はかなり自由な街だった・・・
享楽的な文化も世界で一番栄えたていた。
ナイトクラブとジャズの街・・・ファッションとワインと恋の街・・・
当時は上海スタイルと言えば世界で最先端と言う意味があった・・・
実力のある者が成功を手にすることが出来る街だった。
同様にこころざしのある人間も自分の夢を実現するためにこの街では自由な活動が出来た。
この日本租界にひとりの日本人がいた。名前はテンゾー。
彼は夢を追っていた。自分の国家をこの街で、この国で作ろうとしていた。
税金がなく・・・誰もが豊かに満ち足りて暮らせる国を・・・
彼は本気だった・・
彼には同時に中国を列強から解放し、中国人の国を作ると言う夢もあった。
それは決して日本人が支配する国ではなく中国人による中国の国を作るという夢であった。
当時中国は貧しく荒れたいた。
アヘン戦争に敗れ政府は弱体化し、列強に頭を押さえつけられていた。
上海の外での治安はもっと乱れていた・・・
テンゾーは上海の北、日本租界のある虹口(ほんきゅ)地区の北四川路余慶坊に住んでいた。
3階建てのゆとりのある住宅・・・彼の実家は資産家であった。
彼の思想に共鳴し多くの同士が彼の住居に集まって来た。
中にはロシア人も二人いた。名前はザワロフとフリッポフ。
旧帝政ロシアの革命に追われ国を亡くした難民だった。
テンゾーは誰も分け隔てなく寝るところを与え、貧しいものには食べ物を与えた。
ワコはそんな父が誇りでもあり、大好きだった。
・・・それが香港のレパルスベイで僕が出会った少女(精霊)の名前・・・
この続きはまたね
(んー、上海料理・・・こっちにおいで・・・むにゃむにゃ)