みんな元気ですか
先日の続き・・・
僕たち4人はセーヌの流れを見つめながらお話をしていた。
芸術の話が一段落するとジュンがチェリーにこう言った・・・
宇宙から来たあなたたちの地球で愛を広める努力にとても感謝します。
「チェリー」という・・・イッピーが選んだ名前はフランス語では「シェリー」・・・「優しさ」 と言う意味・・・
あなたにその名前がついたの偶然ではないような気がします・・・と。
僕は少し照れた・・・
ジュンは続けた・・・
私も何かの形でお手伝いがしたい・・・。
チェリーはこう言った・・・
ありがとう・・・
あなたはすでにとても協力している。
芸術は愛の一つの表れ・・・
美の表現そのものが愛と言う事も出来る・・・
でも芸術が示唆するもっと大切な事があるのよ・・・
それは芸術作品は・・・それを鑑賞する・・・見る人がいて初めて芸術なの。
「見つめるものは・・・見つめられるもの」と言う言葉の意味は・・・
お互いの存在があって初めて意味をなす・・・と言う事。
宇宙はすべて相互依存で成り立っている・・・。
それは別の言葉で言うと「愛」なのよ・・・。
あなたたちはすでに気がついている。
すべてはすべてにつながっていることを・・・。
聞いたことがあると思う・・・
東京で蝶が舞うとニューヨークで嵐がおきる・・・その意味は・・・
樹木は風を動かす・・・風は雲を動かし嵐を呼ぶ・・・嵐は雨を降らせる・・・雨は山を下り・・・川に注ぐ・・・
川は海に注ぐ・・・水が循環する・・・生き物が潤う・・・樹木は命をつなぐ・・・
すべては一つにつながっている・・・と言う事。
人と人が触れ合うと言う言葉は心がつながると言うこと。
それは振れ合うという事・・・。
物事はすべて振れ合う・・・。
物質は粒子の振動で出来ている。
その振動は別の振動と振れ合う・・・。
音は共鳴する・・・物質も共鳴する・・・心も共鳴する・・・
それが「見つめるものが見つめられるもの」の意味。
それが「愛」の秘密・・・
この広い宇宙に単独の存在はないのよ・・・。
何かの存在は他のもうひとつの存在があって初めて成り立つ。
アーサー・クラークと言う作家はこのことに気がついていた。
(「2001年宇宙の旅」の原作者・・・スタンリー・キューブリックによって映画化)
彼の小説にこういう表現があった・・・
ある少年が長い長い究極の宇宙の旅に出る・・・
なにもないはずの宇宙の果てで彼は「存在」に出会う。
そこで少年はその「存在」に向かって言った・・・
「僕はここにいるよ」・・・って。
するとその何かが答える・・・
「君がそこにいてくれて僕はうれしい」・・・って。
その「存在」は少年の存在によって初めて「存在」になれたの・・・。
人は一人じゃ生きられない・・・と言うのは本当は正しくない。
その意味で・・・もともと初めから一人じゃなかったから・・・
これが「神様の足あと」のもう一つの意味・・・
(2010年2月6日記事参照→リンク神様の足あと
)
チェリーは続けた・・・
あなたたちのおかげでもうすぐ人はこの事に気がつく・・・
誰かが気づけば・・・共鳴の作用で・・・振れ合いが始まる・・・
それが「愛」を広める・・・
私たちも実りない努力をしているわけではないの・・・
だって「愛」はもともとそこにあるものだから。
(ねえねえ知ってた・・・愛はいつでもそこにあるんだよ・・・だから”LOVE ALWAYS”なんだよ)