みんな元気ですか
きのうの続き・・・
チェリーの話をみんなが真剣に聞いている・・・
イスラム教社会もキリスト教社会も対立の歴史のように思われているが必ずしもそうではない。
西暦千年前後のころスペインのアンダルシアにアルハンブラ宮殿が建てられた。
この宮殿は精緻なイスラム建築の最高傑作と言われている宮殿を中心としたたくさんの施設から成り立っている。
中近東の建築や装飾の様式で彩られアラブ世界の当時の最先端技術が持ち込まれ・・・
壁や柱のアラベスク模様は精緻精妙の粋を集めた装飾がほどこされている。
現在スペインでも最高の世界遺産。
この円形や球形や幾何学的様式の宮殿を建築するのには高水準の建築技術を必要とする。
その設計技術はすでにアラブには存在していた。
この設計技術を可能にしていたのはアラビア数字・・・
現在世界中で使われている数字・・・なしには不可能。
当時のアルハンブラ宮殿にはアラビア語で書かれた建築技術や当時の最先端の科学や哲学など多岐にわたる蔵書が十万冊ほどあったと言われている。
これがいかにすごい数なのか・・・当時の英国王室の蔵書が全部で一万冊しかなかった事と比較しても分かる。
このアラブ世界の文化を学ぶために当時ヨーロッパ中から若い僧侶が集まった。
イギリスのオクスフォード、ケンブリッジやイタリアのボローニアからは頻繁に研究者が訪れた。
これらの研究者が持ち帰った研究成果をもとにそれらの場所では大学が設立された。
これが世界で最古の大学になっている。
ちなみにボローニア大学は設立が11世紀初頭。
ケンブリッジ大学の設立は13世紀後半。
チェリーは続ける・・・
「アルケミスト」を書いたパウロ・コレーリョの「星の巡礼」に出て来るキリスト教徒の巡礼の道・・・ヨーロッパ中からフランスとの国境のピレネー山脈を越えて・・・スペインを通る道・・・はまたアルハンブラへの道でもあった。
当時のイスラムの王はこれらの僧侶に図書館を開放していた。
ヨーロッパの若者がここで学ぶことを自由に奨励していた。
ヨーロッパの大学の初期の学びや研究にとって・・・
そしてのちのヨーロッパの文明の発展に・・・
イスラム文化は欠かせない・・・重要な・・・
役割をしていた事はあまり知られていない。
それどころかイスラム文明はヨーロッパの古い歴史ある大学の生みの親なのよ・・・。
ヨーロッパのキリスト教社会が後に「レコンキスタ」と呼ばれて・・・
スペインをイスラム文化から戦いで解放した・・・
と思われている歴史の解釈は・・・実は・・・正しくないの。
そこには皆が学校の歴史で習うような戦いはなかった。
アルハンブラのイスラム文化からヨーロッパは多大な恩恵を受けていた。
だからそれを血で奪い取るような戦いは本当はなかったのよ・・・。
このレコンキスタの時にはすでにルネサンスがイタリアで起きていた。
ルネサンスは14~15世紀が中心と言われている。
しかし11世紀ころにはアルハンブラの影響でイタリアには新たな文化の胎動が見られる。
その顕著な例がこの頃にイタリアに伝わっていたアラビア数字。
それまでのギリシャ数字(お爺さんの古時計に使うような・・・)では・・・
扱う桁数が多すぎて・・・建築設計には向いていなかった。
このアラビア数字が伝わって初めてヨーロッパでは大きな教会や建物の設計が可能になった。
注意して見ているとダビンチの絵画などにもギリシャ数字とアラビア数字が混在しているのが分かるわ。
この頃が最初のキリスト教圏とイスラム教圏の文化が融合した時期。
つまり文明が大きく動き進化を見た時期。
実はそれ以前にも二つの文明が大きく融合した時期があったの・・・
またまたチェリーの話が違う方向に行った・・・
続きはまたね・・・
(ふんふん・・・なるほどなるほど・・・と先生みたいなチェリーの話を聞いてる僕)