いのちは光 1 レムリアの魚たち

みんな元気ですかラブラブ

僕は少し前にレムリアで見た不思議な話を書いた・・・。

そのお話は・・・→こちら

川の魚たちが・・・祈る女の人が手に持っているカゴに

何の仕掛けもないのに・・・

自分からどんどんはいって行く・・・

というお話。

実は・・・これはレムリアだけでの話ではない・・・。

動物たちが自ら・・・

まるで犠牲になるかのように・・・

進んで人間のために死を選ぶ事は

環境さえ整っていればよく見られる光景かもしれない・・・

その条件とは・・・

犠牲となる動物を必要とする人たちが

大自然に畏敬の念を抱き・・・

自分が使う道具に魂が宿る事を知り・・・

その動物たちに深い感謝の気持ちを持って・・・

決して必要以上の獲物を獲らないこと・・・。

人類学者のリチャード・ネルソンは

長年アラスカでイヌイットやコユロン・インディアンと生活をした。

そして狩猟の方法を学んだ。

彼が食料を得るために狩りに出ると・・・

ネルソンは鹿たちがあたかも自分が殺されることを

知っているかのように・・・

彼の前に進んで出て来た・・・と言う。

ネルソンはこう言っている・・・

「我々は自然の生命を、自分自身の力で獲っているのではない・・・。

むしろ自然の力が、我々に生命を与えてくれるのだ」・・・と。

これは力のある霊能力者の言葉と非常に似ている・・・

彼らはこう言う・・・

「我々は自分の力で、人の災いを避けたり病気を治すのではない・・・。

むしろ精霊や神様が、我々の願いを聞いてその働きをしてくださるのだ」・・・と。

話をもとにもどそう・・・。

他にも自分から犠牲になることを選ぶ動物の例は・・・

数えきれないほど記録に残っている。

鴨がある特定の猟師の前に自分から出て来ること・・・。

ブードゥーのシャーマンがニワトリやヤギを犠牲にささげる時

そのニワトリたちは自分から静かになって最後の時を迎える・・・等等

そのシャーマンたちは言う・・・

自分たちは癒す人でもあるが殺す人でもある・・・

病気を治す時・・・その病原のウイルスを殺している・・・と。

自然に対する畏敬の念は・・・

この人たちの間では・・・

動物だけではなく・・・

植物に対しても同じようになされる・・・。

クワキュトール・インディアンのある女性のシャーマンが・・・

かごや道具や布地に使う木の皮をとる時に・・・

アメリカ赤杉に畏敬の念を持って祈る・・・。

その祈りはこうだ・・・

「私のお友達よ、私の方を見て下さい。

私は、あなたの衣装をいただきにやって来ました。

私たちに情けをかけて下さるために、あなたはそこにおいでなのですね。

あなたの体で私たちが使えないものは何もないのですから・・・

長寿を与えてくれる方よ・・・

ユリの根を入れるためのかごをあなたの身から作らせてください。

あなたにお願いしたことを、あなたのお友達にも伝えて下さい。

どうかお体に気を付けて。

そして私が病気にならないように、

病気や戦争で死んだりすることがありませんように。

どうかおねがいします。」

この人たちは自然に対してとても謙虚で・・・

いつも感謝に満ちている・・・

自分が大自然の一部でいられる事に・・・

そこには・・・

「自分が大自然に生かされている」・・・

という言葉が持つ裏の意味の・・・

人としての遠慮のなさは・・・少しもない。

この人たちは・・・

動物の死をどのように受け止めるのだろうか・・・

おそらく・・・

人智の及ばない大自然の計らい・・・

そして・・・導きだと思うのだろう・・・。

宮崎では・・・

自分から死の時期をさとり・・・

飼い主さんにまるで別れを告げるように・・・

飼い主さんの苦しみを理解しているかのように・・・

少しも抵抗するどころか・・・

注射針の前に自らの身を差し出す・・・

牛や豚がいたという話を聞いた・・・。

僕には聞こえるような気がする・・・

その牛さんや豚さんの声が・・・

「今まで本当にありがとう・・・」

という心の声が・・・

イッピーの独り言

(命について真剣に考える僕・・・なんだかしんみりしちゃたよ目

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