ふらんす・パリ 5 日本との歴史関係

みんな元気ですかドキドキ

きのうの続き・・・グッド!

少しパリから離れるけど大局を理解するための歴史のお話し。

国の概念は日本とヨーロッパではかなり違う。

地続きのヨーロッパでは隣の国と戦争が絶えなかった。

そこで王族同志の政略結婚が盛んに行われた。

日本の戦国時代と同じ事が頻繁に起きている。

フランスと関係の深い王族だけでもかなり入り組んでいる。

マリー・アントワネットのルイ王朝はブルボン家だが

イタリアのメディチ家(ちなみに薬のメディスンはこのメディチから来ている)

スペインのハプスブルグ家

イギリスのスチュワート家などと婚姻関係を結んでいる。

ルイ16世の王妃マリー・アントワネットは

オーストリアのハプスブルグ家から嫁いでいる。

ちなみにルイ16世とマリー・アントワネットがフランス革命で

処刑されたのはコンコルド広場・・・シャンゼリゼ大通りの

凱旋門(エトワール)から4キロほど歩いた反対側の終点。

ルイ王朝の居城はパリから西へ車で一時間ほど行ったベルサイユ宮殿。

このあたりは閑静な郊外でパリまで電車で通う通勤族も多い。

マリー・アントワネットが住んでいたのはベルサイユ宮殿の

裏側にあるプチ・トリアノンというとてもきれいな小さな宮殿だった。

だが18世紀末から19世紀にかけて本当に世界に影響を

及ぼすほど力を持っていたのはこれらの王族ではない。

それはあのフリーメイソンの本丸「ロスチャイルド家」

それに今の日本の基礎はロスチャイルドのおかげで出来た

と言ってもいい位日本とも関係が非常に深い。

ユダヤ人のファミリーの結束は非常にかたい。

それがなければ彼らは歴史的な迫害から

生き延びる事が出来なかったから・・・

ロスチャイルド家は当主のマイヤー・アムシェル・ロスチャイルドが

1764年ドイツ・ロスチャイルド商会を創立したことで始まる。

ついで息子たちがそれぞれヨーロッパの主要地域を抑えるかたちで

一大ネットワークを作った。

それは資金力と情報力のネットワークだった。

1804年・・・三男ネイサンがイギリス・ロスチャイルド商会創設

1817年・・・五男ジェームズがフランス・ロスチャイルド商会創設

1820年・・・次男サロモンがオーストリア・ロスチャイルド商会創設

1821年・・・四男カールがイタリア・ロスチャイルド商会創設

特に五男のジェームスが鉄道王になることで当時の情報戦略

で圧倒的な優位性を築いた。

例えばワーテルローの戦いでナポレオンが勝つか負けるか

で国債の値段が暴騰暴落する。

それをいち早く知ることで資産を文字通り何千倍にもすることができた。

電話もない当時には鉄道が一番早い情報伝達の手段だったから。

日本との関係では・・・

幕末の長州の高杉新作が作った軍隊(奇兵隊)にフランス系の

ロスチャイルドが大量の軍事装備を売る。

例えば軍靴一足を取っても今の価値で50万円位の値段をつけたらしい。

当時の日本には革靴などなかった・・・。

作る技術ももちろんなかった。

まして軍靴など・・・。

しかし幕末の風雲急を告げる情勢ではすべてが時間との勝負。

だから言い値で買うしかない。

それが数10万足必要とされた。

薩摩に同時にイギリス系ロスチャイルドが大砲や軍艦など軍備をさせる。

薩長戦争ではどちらが勝ってもロスチャイルドは巨額の利益を得る。

この関係があったから明治維新では日本銀行の設立に

ロスチャイルドがアドバイザーとして深くかかわった。

このため当時の円札にはフリーメイソンの図柄が使われている。

ちなみに今でも米国の1ドル札にはピラミッドとホルスの目という

フリーメイソンのマークが付いている。

その後日露戦争では当時の日銀副総裁高橋是清(後の総理大臣)に

多額の貸し付けを行って巨額の利益を得た。

なぜ当時まだ新興国の日本に巨額の戦費を信用貸ししたのか。

当時大国のロシア相手に戦争をして日本が勝てるとはだれも

思っていなかった・・・。

フリーメイソンの情報力で日本が勝たせてもらった・・・

のかもしれない。

日銀とフリーメイソンの関係は深かった。

日本は当時の中国(清国)のように

列強の支配下に置かれることはなかった。

これは本当に日本の実力だったのだろうか・・・。

イッピーの独り言

(んー、深い・・・深すぎるぅ~・・・うなる僕目

ペタしてね

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