みんな元気ですか
きのうの続き・・・
イッピーが訪れた当時日系人は非常に狭い社会の中で生きていた。
おそらく日本人としてのプライドがあったのだろうが
白人と交わることは必要以上にはしないのが通常だった。
ましてや白人との恋愛や結婚など日系人社会には歓迎されていないようだった。
もしそのような事があると日系人社会の中で村八分のような扱いを受ける事もあった。
昔・・・日米の戦争が始まりそうになると
一部の日系人は迫害を恐れて日本に帰って行った。
その人たちも戦争が終わるとまたアメリカに帰って来た人が多い。
結局アメリカの生活習慣に染まった日系人は・・・特に2世以降は
日本の社会の中では溶け込むことは難しいから・・・
その人たちは「帰米2世」と言って日本に帰らなかった日系人たちに区別されていた。
両者の間には深い心の溝があったように思える。
彼らが大切にしていたもの・・・
それはアメリカに居ても日本人としての心だったと思う。
勤勉、正直、努力等がその中身だと思うがとりわけ「恥を知る」心を
大切にしていたように感じた。
特に1世や2世はこの事に誇りを持っていた。
シカゴやカリフォルニアのような日本から遠く離れた場所で
この日本人の心に触れとても不思議な感覚をおぼえた。
それは当時の日本の社会ではすでにあまり見ることが出来ない
「心」のあり方だった。
アメリカは彼らの生活様式には影響を与えた
しかしアメリカにずっと残った日系人はほとんどがこの日本人としての心を
高く保って生きていたような気がする。
アメリカやそして日本の社会の変化にも全く影響を受けることなく
純粋に昔がそこに残っているような気がした・・・
アメリカの中だからこそ純粋に守られてきた昔の日本そのものが。
まるでタイムスリップしたような感覚だった。
2世や3世の日本語はたどたどしくて英語の方がはるかに
便利だと思われる。
しかしその英語も彼らの心を変えることはなかった。
その時思った・・・
言葉が心を変えることはない。
心さえしっかりと持っていれば・・・。
彼らは心で言葉を話していた。
彼らが話すたどたどしい日本語もネイティブな英語も
とてもきれいだった・・・どんな言葉も心に響いた。
彼らと過ごしたあの夏は今も輝いている。
(あの輝くアメリカの夏は・・・今でも僕の心に生きているんだ)