帰る場所

みんな元気ですかドキドキ

時々思い出すこと・・・グッド!

外国に行くと日本の事を驚くほど詳しく知っている人にたまに出会う。

宗教や文化について質問を受ける。

それが刺激になって日本を再認識する事になる。

しかし日本や日本人の心を再認識するのは

外国に行った時だけではない。

日本にいる外国人が日本について語る時

それも日本を再認識する機会になる。

昨日(11月24日付)の産経新聞の1面「山河有情」(有識者の時事コメント欄)

にこんなことが書いてあった。

書いたのは但木敬一(ただきけいいち)元検事総長。

戦国時代に来日し、織田信長や豊臣秀吉に謁見をたまわった

イエズス会の2人のイタリア人司祭がいる。

一人は南蛮寺を建立したオルガンティノ。

もう一人は天正少年使節団の生みの親である巡察使ヴァリニャーノ。

両司祭がイエズス会総長にあてた手紙が「日本巡察記」に残されている。

オルガンティノ曰く

「私達は互いに賢明に見えるが、彼ら(日本国民)と

比較するとはなはだ野蛮であると思う」。

ヴァリニャーノ曰く

「一般庶民や労働者でもその社会(日本社会)では

驚嘆すべき礼節をもって上品に育てられ、(中略)

下層の人々の間にも、我らヨーロッパ人の間に

見受けられる粗暴や無能力と言う事がなく、

一般にみな優れた理解力を有している」。

共通しているのは日本の民衆に対する高い評価である。

(引用ここまで)

長かった戦国の世がやっと終わり天下統一がされてまだ間もない頃の

事だけにこのコメントにはおどろく。

国は直前まで群雄割拠の戦いに乱れていたはずなのに

日本人は礼節や教育レベルに関し高い意識を保っていた事がよくわかる。

宣教師は日本人の意識の高さをイエズス会総長に

特に売り込む必要があったわけではない。

日本人の人間としての意識の高さに感動を覚えたのだと思う。

日本人の意識をここまで高くしたのは何かの議論はともかく

その心は今でもすべての日本人に生きていると思う。

それが今でもブレる事のない心の中心としてあるのだと思う。

その証拠に政治家のブレる発言や行動は極端に批判の対象になる。

中心の柱(=心柱)がしっかりしていればそこから外に出て行く事が出来る。

行動半径も広がる。

ビジョンも大きく持つ事が出来る。

心はいつでもまたそこに帰って来ることができるから。

イッピーの独り言

(僕はよじれても中心はあるんだよ・・・それは・・・お・へ・そ・・・あはビックリマーク

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