みんな元気ですか
前回の続き・・・
モーゼはエジプトを後にしてたくさんのユダヤの民を引き連れて
紅海を分け歩いて海を渡ったとされる。
その海を渡る前夜シナイ山に登る。
それはエホバの神に呼ばれたから。
そこでモーゼはエホバから十戒を与えられる。
その十戒は契約の棺(ひつぎ)に納められていた。
それが契約の棺に納められたその瞬間から
その棺は強力な武器ともなった。
今で言う放射能のようなケルビムという光を発し
これを持つものは向かうところ敵なしだった。
この箱の取り扱い説明書のよなものがあるようだが
まさに放射能を扱うような注意が要求されていた。
不用意に箱に触れると手がただれたりすることもあった。
後にモーゼの子孫ダビデはこの棺を持って
近隣の敵を打ち倒しユダヤの国を打ち立てる。
ちなみにこの棺に関しては正確な縮尺などが記録にあり
日本のおみこしの原型とされている・・・。
二本の棒で支えられその上に箱(棺)を載せる。
その棒を両側6人で担ぐ。
そのはこの頭頂部には鳳凰が飾られていた。
この記述はおみこしの形と全くおなじ・・・。
その国はこの棺の力を味方にして強力な国になる。
それを引きついたのがダビデの息子の一人ソロモン。
後にこのユダヤの国は12支族に別れる。
以上記憶のみで書いているので不正確な所があるかもしれませんが・・・
この記事のタイトルとこの史実と合わせたら何が言いたいのか
もうお分かりの方もいるかもしれませんね。
エホバが本当にモーゼに十戒が書かれた石板を渡したのか
どうかは分からない・・・
史実は往々にして記述者の都合のよいように書き換えられる。
歴史は常に勝者の記録である事は論を待たない。
もしかしてこの契約の棺の中にはいっていたものが
あのエジプトのキャップストーンだったとしたらどうだろう・・・。
misaさんのブログ参照してください→こちら
モーゼは(政治的理由があったので)これを仲間と盗んで持ち去った。
そうであるとするならば
彼はこのキャップストーンの使い方を熟知していた事は疑いがない。
これがモーゼがエジプトを離れた本当の理由だとしたら
歴史の見方は大きく変わって来る・・・かもしれない。
ソロモン王の後失われた10支族が消えた理由も
この石が関わっている可能性が出て来るかもしれない・・・。
後の時代・・・おそらく今でも・・・この棺を探して多くの人が
情報を集めている。
しかし・・・
この情報を一番確かに持っていると思われるのは
フリーメイソンだとしたらどうだろう・・・。
なぜなら彼らこそその使い方を
祖先から受け継いでいる事になる。
それにフリーメイソンの原型は
ヨーロッパの「石工同盟」と言われる。
この「石工」の意味は本当は何か・・・
今となっては誰もそれを追求しようとはしない。
あるいは出来ないのか・・・。
それでもキャップストーンは
今でも確かに何処かにある・・・
ところで・・・
日本にも中国にもダビデ神社があるのをご存じだろうか・・・。
京都の太秦(うずまさ)に大避神社(あるいは大酒とも書く)がある。
これは中国語で読むと「ダビデ」。
近所の人はこれを憚らずダビデ神社と呼んでいる・・・
神社の内部にも古代ユダヤの痕跡が多数残されている・・・
一方中国では文革時にほとんど破壊されているが
文革の嵐を受けなかった香港には残っている。
道教の寺院に併合されてはいるが
立派に「大避神」を祭る寺院がある。
イッピーはこれを見たことがあります。
香港の観光スポットにもなっているので今でもこれを訪れる事が出来る。
続きはまたね・・・
(夢の中でケルビム光線を浴びた僕・・・ギャー・・・って、おい大丈夫か・・・しっかりしろ~)