「今を生きる」より「今生きてる」 5 終章 宇宙の仲間

このシリーズのまとめにはいります。

人は皆地球のプレートの上に住んでいます。

と言うより住まわせてもらっています。

「もらっている」と言うのは、今まで見て来たようにもしかすると

人間よりも高度に進化した存在の上に我々が乗っているのかもしれないからです。

人はあまりにも自分たちが存在している基盤である大地を当たり前のように思い

あるいはその事を考える事もしませんでした。

大地は多くのドラマを経て今存在しています。

土壌が出来るの為にはたくさんの数え切れない動植物の命のドラマがありました。

人は土のおかげで生まれました。

聖書の「神は土からアダムを作った」・・・という言葉に新鮮な衝撃を覚えます。

土がなければ人が食べる物が出来ないのです。

土があって初めて人が生きていく事が出来たのです。

聖書のこの言葉の意味はそのことを言ったのではないでしょうか。

人も土も多くの命がプレートという石の上に生きています。

生かされています。

今回の地震はそのことに意識を向けるための地球が与えてくれた

大きなチャンスだとおもいます。

命は地球の大いなる意志によりはぐくまれています。

日月神事に書いてあることを思い出します。

「本当の善人は悪人に似ている・・・本当の悪人は完璧な善人に似ている・・・

よく見極めなさい・・・」とあります。

石は最も静かで最も普通に存在します。

その石は実は大いなる意志を秘めているのかもしれません。

石は地球その物の意識を持っているのかもしれません。

石と意志が同じ言霊であるのは偶然でしょうか・・・。

今回問題になっている原発の燃料のウラン鉱石など

希少鉱石が埋まっている鉱脈のあるところは

その土地の聖地としてあがめられている場所に多く存在します。

再び映画「アバター」の聖なる大樹がある場所を思い出します。

あの聖樹の下には希少鉱石が埋まっていたために

一部地球人がそれを採取するために掘り起こそうとしました。

そのためにナビ達と争いをおこしました。

善悪は人が作ったものです。

希少鉱石は使い方一つで多くの人の命を奪います。

しかしその鉱石はもともと聖なる役目を負っていました。

原発自身には罪はありません。

今でも人は多くの意識と霊性を持つ存在に対してあまりにも無知です。

仏教用語で言うならば「無明」の状態です。

そのために聖なる存在も悪用しています。

動物も植物も鉱物も・・・そして海もプレートも地球も

意識と意志を持っています。

時に動物や植物は単体でも意識と意志・・・

そして高い霊性を持ちますが

もし彼らの種としての集合意識にまでつながることが出来れば

その叡智は計りしれないほど深いのです。

慈しみにあふれているかもしれないのです。

地球上の普通に見える多くの存在たちはいま

人間の気付きを待っているのかもしれません。

善悪も上も下もないと言う事を・・・

すべてが地球の上でかけがえのない存在であることを・・・

人はすでに知っています。

争う時よりも手をつなぐ時の方がはるかに力を発揮できる事を。

地球上の友人たちは待っているのかもしれません。

今まで意識も何もないと考えていた友人たちに意識を向けて

今こそ手をつなぐ時だと言う事を

人間が謙虚にそのことを考えることを・・・

そして

人間が宇宙船地球号の乗組員として

役割を果たすことを・・・

それに気付いた時に初めて地球人は宇宙平和連合の友人たちに

仲間として迎えられるような気がします。

「今を生きよう」としている完成途上の人間としてではなく

「今生きている」仲間として・・・

イッピーの独り言

(愛のまなざしを・・・みんなに送る僕・・・旅の終わりはもうすぐだねドキドキ

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