徐福の夢 2 消された徐福の存在

みんな元気ですかドキドキ

シリーズ「秦の始皇帝の野望」の続き・・・グッド!

徐福は紀元前3世紀頃確かに日本に来ています。

当時の中国の複数の記録によると

三千人の身分の高い家がらの子供とさらに

数千人のあらゆる分野の技術者を引き連れて・・・。

その記録とは・・・

例えばAD82年に編纂された「漢書」

ほかにも「郊祀志」、「地理志」、「列伝十五の伍被」、

5世紀前半に編纂された「後漢書」

あの有名な「三国志」(3世紀に編纂)、

ほかにも数え切れないほどの古代中国の歴史書に

その名前とその行動が史実として書かれています。

これだけ傍証がそろっているのです。

傍証(と言う地位しか与えられていない)という理由は・・・

日本では公式に認められていないからです。

だから教科書には一切出て来ないどころか

その痕跡すらないのです。

それには理由がありました。

そしてその理由とは・・・

このシリーズで明らかになるかもしれません・・・。

イッピーの独り言

(日本の各地にある徐福の墓)

前回のシリーズ→秦の始皇帝の野望

の最後の記事(2011年2月26日の記事)は

こんな風に終わっています。

徐福のお話しはいったんこれで終わりにします。

しかしその前にお話ししておきたいことがあります。

友達の風さんはこのお話しの最後に僕に結論の無い謎を残していきました。

それは・・・徐福(あるいは始皇帝)の行動はエジプトを後にしたモーゼの行動と

沢山の共通点があると言う事です。

そのことに最後に触れておきます。

その共通点とは・・・

二人とも海を越えて希望の国を求めています。

二人とも東に向かいました。

二人が向かった先は共に未知の世界でした。

二人とも数千人の民を引き連れています。

二人とも一端旅に出たら二度と故郷をふりかえりませんでした。

二人が向かった先は夢と希望にあふれていた(と思えました)。

モーゼが後にしたエジプトは地下にたくさんの秘密がありました。

一方徐福が後にした秦国も地下にたくさんの秘密がありました。

モーゼが向かったのは「約束の地カナン」でした。

徐福が向かったのは「カンナガラの地」でした。

モーゼの末裔は中国大陸で国を作り繁栄しました。

徐福(と秦氏)の末裔は日本を統一し天皇家を作り繁栄しました。(この事についてはいずれ触れようと思います。)

始皇帝は中国で古代ユダヤの民であることにこだわってはいません。

徐福(秦氏)も古代ユダヤの民であることを逆に公にはしませんでした。

風さんはこの事が何を意味するのか教えてはくれませんでした。

ただ一言こう言いました。

「未来は君たちの手にある・・・しかし歴史は繰り返すのだよ」・・・と。

今回の新シリーズはその後の彼らの足跡をたどって見たいと思います。

古事記や日本書紀のお話とは少し違う歴史が浮かび上がって

来るかもしれません・・・

イッピーの独り言

(真実はいずれ明らかになるのさ・・・遠い過去を振り返るボク・・・賢者の雰囲気で・・・あはあせる

ペタしてね

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