徐福の夢 5 日本の夜明け

みんな元気ですかドキドキ

前回の続き・・・グッド!

その昔(女王卑弥呼より100年くらい前)に日本統一を初めて果たした

天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊・・・(あまてる くにてる

ひこ あめのほあかり くしたま ニギハヤヒ の みこと)

という天皇がいました。

スサノオの息子です。

物部氏の没落と共に二ギハヤヒの痕跡は蘇我氏によって

すべて消されてしまいました。

だから後世(720年頃)の記紀には登場しません。

物部氏と蘇我氏は宿命の勢力争いの対決をしました。

古来の神道と新しく伝わった仏教擁護派の争いを盾にしました。

その結果勝者の歴史にすべてが塗り替えられたました。

それが記紀・・・古事記(710年)・日本書紀(721年)です。

神道の最大の祝詞である大祓の祝詞には登場する

瀬織律比売(せおりつひめ)等も記紀には一切あらわれず

その存在が消されています。

ちなみに瀬織津比売は北陸地方ではお婆さんの姿の神様としても

信仰されていて岩手県の遠野では母なる神として、

古来より敬まわれ、養蚕をもたらした神とも伝えられているそうです。

この事も徐福の技能集団とのつながりを強く感じます。

もう一度スサノオの事を振り返ってみたいと思います。

牛頭天王と言えば前回も述べたように京都祇園の八坂神社が

有名ですが、全国に3千ある天王社の総本山は愛知県津島市にある

津島(つしま)神社です。

前回も述べましたが実在が否定されているにも関わらず

今でもスサノオを祭る神社の数やその痕跡の残る地名は

(消された割に)異常に多いのです。

単なる神話の世界の神がこれほど多くの尊敬を集めるとは思えません。

彼は明らかに実在していたのです。

ちなみに八坂神社は平安初期姫路の広峰(ひろみね)神社から

勧請されたものです。その事は京都市左京区の梛(なぎ)神社にも

記録が残されています。

その梛神社は別名「元祇園社」と言います。

津島神社には歴史の流れから言うとおかしなことがあります。

810年(弘仁元年)嵯峨天皇は津島神社に対し

スサノオの尊は皇国の大本の天皇であり、津島神社は

日本総社(日本で一番権威のある神社)であると言っています。

よく考えるとこれはただごとではないのです。

なぜならそれより100年前に作られた記紀によれば大本の天皇は

もちろんご存じ「アマテラス」であり日本総社は「伊勢神宮」でなければ

ならないのですから・・・。

スサノオはこの頃の歴代天皇にとってもいかに特別な存在だったかが

分かります。

この事から想像するのですが当時でも記紀は軽視されていて少なくとも

まともに評価されてはいなかったのではないでしょうか。

もう一人古代の崇敬を集めた神様に「オオヤマツミ」という神様がいます。

この神様を祭る神社は全国に1万1千社あると言われています。

これはスサノオの別名です。

その総本社は愛媛県の国立公園芸予海峡の海に浮かぶ三島に

ある大山祇(おおやまずみ)神社です。

全国にこれだけの神社がスサノオを祭っているのです。

そしてスサノオは歴代の天皇や織田信長など戦国の武将

から特別の尊崇を受けていました。

その理由はただ一つ

スサノオが日本を初めて統一した実在の天皇だったから・・・

と思うのが自然なのです。

スサノオは日本の統一を果たす為日本の夜明けを切り開きました。

そしてスサノオと共に闘い大きな活躍をし絶大な尊崇を受け

日本の夜明けを完成させた偉大な王がもう一人います。

その名前を記紀から完全に消されている

天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊

と言う実在の人物です・・・。

スサノオの息子で幼名を大歳(おおとし)といいました。

続きはまたね・・・グッド!

イッピーの独り言

(古代の夢の中をさまようボク・・・あれ・・・こっちでよかでしゅかなぁ汗

ペタしてね

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