みんな元気ですか
前回の続き・・・
スサノオはオロチを退治して櫛稲田姫(くしいなだひめ)を
助け出し結婚します。
おそらく西暦140年頃のこと。
秦の始皇帝が見果てぬ不死の夢に破れ
万里の頂上を残してからすでに300年が過ぎ、
中国は後漢の時代でした。
「後漢書」によるとこの頃倭の国は百余国に分かれていたと
記録されています。
倭の奴(な)国王が後漢に朝貢して金印を受けたのが57年。
日本はまだ国家としての形を持たない黎明の時でした。
しかしスサノオがオロチを退治した後に彼は
素早く国家統一に動きます。
初めに覇権を握ったのが島根を中心とした山陰の次に九州でした。
この時父から戦の戦略を学び一緒に戦ったのが
息子の大歳(おおとし)・・・後の大王ニギハヤヒでした。
そして九州平定が完成すると次に大歳を大和に派遣します。
大和に国家統一の中心を置く計画はスサノオの胸に早くからありました。
大和には実力者の豪族ナガスネヒコ(長髄彦)がいたこと。
北のアイヌを防ぐこと、及び陸海の交通の要だったからと思えます。
ちなみに当時アイヌは四国地方にまで勢力が及んでいました。
高知県安芸市(あきし)赤野坂本の大元神社の記録には
こんな事が書いてあるそうです。
「この地は古代土佐原人の住居跡で、洪積層から石器、石斧、
石包丁などが発見され、土佐原人アイヌ民族の遺跡であり、アケヌ、
アカノ、アナナイ等のアイヌ語を村名に残している」・・・と。
アイヌ民族は日本を統一をするためにはライバルだったのです。
アイヌから見た当時の歴史はどのように映るのでしょうか・・・
それを知る方法はあまり残されていません。
いずれにしても大和民族は地の利を得ていました。
天然の良港に恵まれ外国とも交流をしていた大和は
一歩も二歩も有利な戦いをしていたと思われます。
それも歴史の必然なのでしょうか・・・。
スサノオを祭る神社は須賀、八坂、貴船、祇園、三島、大山(津見)など
数多くありますがその時代もやがて終わります。
次は「大歳」から名前を変えたスサノオの息子
大和の大王「ニギハヤヒ」の時代になります・・・
続きはまたね・・・
(パパ・・・次はボクの時代だよ・・・って、オマエねらってるのか)