みんな元気ですか
きのうの続き・・・
籠神社の事。
きょうは史実からのお話しです。
ウィキぺディアには籠神社は主祭神が彦火明命(ひこほあかりのみこと)
相殿・天照大神・豊受大神とあります。
彦火明命とはニギハヤヒの例の長いフルネームの一部です。
≪天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊
(あまてる くにてるひこ あめのほあかり くしたま ニギハヤヒ の みこと)≫
参照→こちら
相殿として天照大神と豊受大神が祀られている理由は
記録によりますと天照大神と豊受大神が一時この土地でお世話に
なっていたからです。
つまりニギハヤヒは後に伊勢神宮に移った天照大神と豊受大神を
この土地で従えていたんです。
記紀ではアマテラスが皇室のおおもとになっています。
ニギハヤヒは明らかに後世の記紀の時代にその存在を曲げられて
事実を隠されているのです。
余談ですが我々の知っている伊勢の天照大神は
大日窶目貴命(おおひるめむちのみこと)とも言います。
大日窶目神社と言うのも多くあります。
大日窶の窶という文字は「霊女」(みこ)の意味で用いたと
一般的に言われているので、もともとは「大日霊女」(おおひみこ)
だったようです。「大」は冠辞なのでそうなるとあの邪馬台国の女王
と同じ名前と言う事になります・・・。
卑弥呼とは中国の魏志倭人伝の作者陳寿が音から考えた
当て字だと言う事は充分考えられるのです。
つまり天照大神は女王卑弥呼その人だったのではないでしょうか。
さらに言えば大日窶目貴命は天照という名前ではなかったのです。
もともとは向津比売命(むかつひめのみこと)と言います。
本来「天照大神」と言うのはニギハヤヒの名前だったのです。
あの長いフルネームの最初の二文字なんです・・・。
記紀の歴史を曲げようとする意図を強く感じます。
その意図が現在の通説として受け入れられているのです。
話を本筋に戻します。
この籠神社の宮司さんは海部(あまべ)さんと言います。
ウィキぺディアによりますと
「海部家は社家(代々世襲神職)の家がらで彦火明命を祖とし、
当社の創建以来、代々奉斎をしてきたとされ、現在は82代目である。
途中省略
海部氏系図が国宝に指定されている。」・・・とあります。
これが本当だとすると実は大変な事なんです。
と言うのは海部家は現在の天皇家より古い家系になるからです。
もしかすると正当な天皇家の直系なんです・・・。
このため戦前はこの事はひた隠しに隠されていました。
家系図が国宝に指定されたのもやっと1976年になってからでした。
先代の宮司さんは豪傑のような性格でいつも言っていたそうです・・・
「うちは天皇家より古いんだぞ」・・・と。
それを裏づける証拠も実はあります。
再びウィキぺディアによりますと
この鏡が作成された時代はちょうど徐福が日本に来た頃です。
そしてスサノオとニギハヤヒが日本を統一する少し前の事です。
天津神とは徐福を思わせます・・・。
またまた余談ですが・・・
日本が経済大国として売り出し中の頃、バブル経済の時より以前、
日本からの雪崩のような輸出攻勢に対して
世界中からバッシングを受けた事がありました。
日本製品のラジオ等が鉄のハンマーを使ってよってたかって打ち壊される
ショッキングなテレビのシーンをおぼえている方もいるのではないでしょうか。
その時に果敢な行動で日本をバッシングから救った首相がいました。
その人の名前は海部俊樹と言いました。
彼はその役目を終えるとすぐに政治の表舞台から姿を消します。
まるで日本を危機から救う事だけがお役目だったかのように・・・。
かれは籠神社の海部さんの縁戚だと聞いたことがあります。
籠神社は裏伊勢籠神社とか元伊勢籠神社とも呼ばれています。
その理由はなんとなくわかるような気がします。
次回のテーマは「裏が表になる時」です。
お楽しみに・・・
(そんなにカッコいいこと・・・キミもやってみるかい・・・いいよォ)