みんな元気ですか
きのうの続き・・・
日本はもともと大自然の神の国でした。
人々は植物や動物や水や火や風と共に時を生きていました。
地球を一周する大いいなる龍が作る流れの意味は分からなくても
大自然に対して畏敬の念を抱き、時には石を敬いました。
古い神社ほど「磐座」(いわくら)を御神体としています。
(磐座とは大きな岩や時には山を神様として敬う対象とした物)
この龍シリーズでご紹介した神社だけでも
磐座が多くご神体になっています。
例えば第6章で籠神社をたずねました。
その奥宮真名井神社についてウィキぺディアにはこのような記事があります。
「(籠神社の)本社の北東約400mの所に当社の元の鎮座地である
奥宮真名井神社がある。本殿はなく、拝殿の裏に2つの磐座がある。」
同様に奈良県大神神社についてもウィキぺディアで調べると
このように書いてあります。
「三輪山そのものを神体(神体山)として成立した神社であり、
今日でも本殿をもたず、拝殿から三輪山自体を神体として仰ぎ見る
古神道(原始神道)の形態を残している。」
宮島の厳島神社も裏山の弥山がご神体であることが知られています。
これ何を意味するのでしょうか・・・。
古代には石と会話が出来る神に仕える人々がいたのかもしれません。
しかし山はどうでしょうか・・・。
もちろん山と会話が出来た可能性もあるかもしれません。
現代でも石や山とお話しが出来るチャネラ―は実際に何人もいます。
しかしそれだけではこれだけ多くの神社がご神体に大きな石や山を選んだ
理由としては不可解なんです。
古代に出来た神社はほとんどが磐座をご神体としているのです。
他にも理由があるのではないでしょうか・・・。
思いつく理由がひとつあります。
以前のシリーズで見て来ましたがスサノオ・ニギハヤヒ親子の
祖先は徐福なのかも知れません。
徐福と関係の深い秦の始皇帝はダビデの子孫の可能性が強いのです。
参照→こちら
ダビデはモーゼの子孫です。
そうなんです・・・。
だとすると磐座はピラミッドの記憶と言う可能性があるんです。
遠い昔・・・と言ってもスサノオ・ニギハヤヒから遡ること約1200~1300年位前です。
彼らの祖先には日本で蓬莱山を見つける(あるいは造る)という
見果てぬ夢がありました。
そしてスサノオ・ニギハヤヒは日本の黎明を切り開き
大和の国を統一する事によってこれを実現しました。
人の命から見ると天皇制という、その時以来2000年続いた永遠にも等しい
不老不死の命を実現したのです。
しかし彼らの子孫の没落により新しく創建された神社は
磐座を奉る事もしなくなりました。
これが皮肉にも磐座がスサノオ・ニギハヤヒに強く結び付いていた
証拠にもなるのです。
物部氏の没落は磐座の力を奪ってしまいました。
そして磐座には多くの輝ける龍神が封印されたのだと想像します。
ご神体の山や磐座を残して社殿を破壊された神社も
数多くあったと思うのはごく自然な事です。
スサノオとニギハヤヒの一族の存在の痕跡をことごとく消すためです。
社殿を破壊された行き場のない龍神達はその磐座に
封印されたのかもしれません。
しかしいま・・・
日本のいたるところで封印が破られようとしています。
続きはまたね・・・
(長い間封印されて・・・やっと出てきたボク・・・ふう~グルヂかったなぁ~)