みんな元気ですか
前回の続き・・・
歴史は一時代の点で見ても虚像。
その点と点をつなぎそれが面になった時に
おぼろげながら姿を見せてくれることがある・・・。
(by イッピー・・・あは)
これは以前の記事「秦の始皇帝の野望 2」
オリハルコンの運命の章に書いた最初の言葉です。
参照→こちら
人間の歴史は常に戦いの歴史でした。そこには勝者と敗者がいます。
敗者の歴史は闇に葬られ表舞台からは消えてしまいます。
勝者が歴史を自分の都合で書き換える事は誰でも知っています。
しかしそこに生きた人々の想いは決して消えることはありません。
想いはエネルギーです・・・消えることはないのです。
この世界のどこかに記憶として残ります。
この事を頼りに勝者によって書き変えられたと思える
いくつかの点を結び付ける時間旅行をしてみたいと思います。
そのカギになる事が旧約聖書に述べられています。
もう一度イスラエルの王ダビデの言葉を旧約聖書から辿ります。
モーゼがユダヤの民を連れてエジプトを脱出したのは紀元前約1200年。
子孫ダビデがイスラエルの国を作ったのが紀元前約1000年。
そのダビデは40年のあいだ王位にあったが自分が亡くなる時に
息子ソロモンに王位をゆずりました。
人生の終わりにあたって残した祈りの言葉が旧訳聖書にあります。
彼はこう言っています・・・
「主はわが岩、わが城、わたしを救う者、わが神、わが岩。
わたしは彼に寄り頼む。わが盾、わが救いの角、わが高きやぐら、
わが避け所、わが救い主。あなたはわたしを暴虐から救われる。」
この祈りの中に不可解で不思議な言葉がいくつかあります。
一つは「我が岩」・・・これがこの短い祈りの言葉の中に2回も出て来ます。
もうひとつは「我が救いの角」。
もうひとつは「高きやぐら」。
祈りの言葉として単純に通り過ぎることも出来ます。
だがどれもよく考えるとそのままでは意味をなさないのです・・・。
しかしこれらの言葉を文字通り素直に受け取り、ダビデと関係のある
私達が知っているものを探すとあるものに当てはまります。
それは古代エジプトのピラミッドなんです。
「わが高きやぐらにあったわが救いの角」と置き換えると
その意味がよりはっきりと浮かびあがって来ます。
ダビデが言っている「たかきやぐら」とはつまりピラミッドを意味し、
「すくいの角」とは頂上にあった「角」を指している可能性があります。
しかもこのピラミッドは古代エジプト最大のクフ王のピラミッドを
おいて他にありません。そのクフ王のピラミッドの頂上にある
その「角」を救いの神と同等にあがめているのではないでしょうか・・・。
なぜこの「角」にこだわる必要があるのでしょうか・・・。
このピラミッドの頂上に特殊な物があったことがわかっています。
それが紀元前10世紀ころにはすでになかったことも記録にあります。
次回はこのピラミッドの頂上にあったものが何か、そして
誰がどうやって持ち去ったのかについて迫ってみたいと思います。
続きはまたね・・・
(高いものを知るには低いところから攻める事だよ・・・パパ~・・・こうやってさ・・・マジすか)