契約のひつぎ 18 秦の始皇帝と徐福

みんな元気ですかドキドキ

前回の続き・・・グッド!

徐福は秦の始皇帝の命を受け蓬莱山に不老不死の薬を探しに

出かけた・・・とうのが一般的な徐福伝説です。

この蓬莱山は日本にあると言う事になっています。

徐福が日本のどこに上陸したのかについては諸説あります。

しかし確たる証拠がありません。徐福がいたとされる土地は

あまりにも多すぎてどこを取り上げていいのかも分からない位です。

興味がある人のために徐福について述べてあるネットに

リンクを貼っておきます。

参照→徐福伝説

イッピーの独り言

(和歌山県新宮市徐福公園内徐福像/ウィキぺディア)

再び点と点をつなぐ作業を続けます。

秦の始皇帝が徐福を日本に送った本当の理由について

以前こんな記事を書きました。

要約して再掲載します。

徐福が日本を目指した本当の目的は古代エジプトの時代まで

さかのぼる話しに繋がっています。

秦の始皇帝はもともとダビデの子孫。

ダビデはモーゼを継ぐ者。

モーゼがエジプトを出る時彼は比類なき力を持つ

ピラミッドのキャップストーンを持ち去りました。

モーゼもダビデもは数万年続いたエジプト王朝の繁栄の秘密をよく知って

いました。その力のみなもとがピラミッドとオベリスクとキャップストーンに

よってもたらされたことも。

しかし同時にキャップストーンだけではその力を得ることは出来ない事も

知っていました。

キャップストーンだけでは強力な武器にはなりますが国を数万年の時を経て

安定させるためにはどうしてもこの技術をもたらした先人の知恵が必要でした。

その先人とは・・・レムリア人。

彼らは知っていました。レムリアがはるか昔に

海に沈んだことも。そしえ彼らはもうひとつの事実を信じていました。

レムリアの遺志を継ぐものが東の海のかなたに居ることを。

その遺志を継ぐ者たちはこの惑星で一番早くのぼる朝陽と共に暮らしていると。

その理由は・・・ピラミッドとオベリスクとキャップストーンは太陽の光の力

なしには機能しない事も・・・知っていたからです。

それがあのエジプトで太陽神がなぜあがめられていたかという理由でも

ありました。

始皇帝は信じていました・・・

太陽と話ができる人間が必ず蓬莱山にはいる。

太古の昔、始祖モーゼが後にした国・・・エジプトにはいたように。

彼らが信じた蓬莱山(光来る山)とは「ピラミッド」の事でした。

不老不死の妙薬とはキャップストーンの力がもたらす力の事だったのです。

彼らは信じていました・・・

その場所は必ず日本にあると。

なぜなら日本がはるか昔沈んだレムリアの一部だと知っていたからです。

もしレムリアの遺志を継ぐ者に会えなくとも

ピラミッドさえ見つければ何とかなるとも思っていた。

当時の日本にはいくつかピラミッドがまだ残されていたのです。

そのピラミッドの上に自分たちが持っている石を

この惑星で一番早のぼる朝陽に向かって置けば

その石が必ず力を発揮するだろうことを信じていたからです。

始皇帝は徐福にそのことを話しました。

そして気の遠くなるようなこの旅に出ることを徐福は同意しました。

いつの世も人を動かすのは「夢」。

徐福は見果てぬ夢に人生をかけたのです。

始皇帝は徐福がもしそのピラミッドを見つけたらキャップストーンの石を

後から運ぶつもりでした。

徐福もその始皇帝の意志を理解して約束を守ろうとしました。

と言うより約束を守らざるをえなかったのです。

なぜならピラミッドだけを見つけてもその不思議に光る石が無ければ

無意味だと知っていたからです。

始皇帝は3000人もの高貴な家がらの子供たちを集めて徐福に託しました。

始皇帝にとってもややもすれば秦の国を揺るがすような一大決心でした。

なぜなら次の世代を担う優秀な子供たちを手放すと言うことは

その分今の自分の国の将来が危うくなることを意味します。

また子供たちの親たちからは言いようのないほどの恨みをかいます。

その不満を抑えるためにも・・・

始皇帝は加えて自分の直系の血族を徐福に預けたのです。

それがその後の秦氏の祖となった子供・・・

その子供は非常に優秀だったのでしょう。

おそらく子供ではあるけれどりりしい顔立ちに王族の品格を備えていました。

始皇帝は何よりも大切なその子供たちを今でいえばまるで宇宙のどこかの

星に移住するような大集団を徐福に預けました。

始皇帝が自ら計画したその旅のために・・・。

彼は本気で信じていたのです。

東の海の向こうにその国があることを。

始皇帝が徐福を見送った港・・・「琅邪台」

この「台」の本当の意味も実はピラミッドだったのです。

なぜならこの港の高台の地下からピラミッドが発掘されています。

始皇帝はそのピラミッドを隠すようにその上にさらに高台を作らせて自らが

上に登りのぼる朝日をながめそして徐福を見送ったとされています。

今から2200年昔の事でした。

後世聖徳太子はこの国の王に向けて手紙を送りました。

「日いずるところの天子、日没するところの天子に申す

つつがなきや・・・」・・・と。

・・・再掲載以上です。

続きはまたね・・・グッド!

イッピーの独り言

(時空を超える旅は疲れるよ・・・時差がありすぎだよ・・・あせる

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