契約のひつぎ 19 日本のピラミッド・始皇帝のたくらみ

みんな元気ですかドキドキ

前回の続き・・・グッド!

徐福は3000人の高貴な家系の子供たちと

「百工」と呼ばれる人たちを連れて来たと言われています。

この百工とはたくさんの技術者と言う意味です。

つまり当時の最先端の農耕や金属精錬や薬草等の専門家を

ともなって日本に来ました。同時にたくさんの植物の種や苗も

運んで来たと伝えられています。今なら何処か宇宙の星に

移住するような規模です。これだけの人数や態勢が意味するものは

新しい国造りしかありません。単なる植民地政策ともまったく違います。

あたらしい土地に自分たちの住みやすい国を造るという

確かな決意と覚悟を感じるのです。

彼らは土地の先住者たちを刺激しないように静かに植民を始めます。

その証拠に彼らが行った先々で争いをおこしたと言う記録は

全くと言っていいほど見当たらないのです。それどころか

徐福の連れて来た人々はおそらく土地の先住者に新しい

技術を教え人々の生活を豊かに変えて行ったのだと想います。

彼らはおそらく2~300百年の間は土地に根付き、人々と共存し

当時の日本の様子を調べ、情報を収集しました。

日本とは全体がどのような地形になっているのか。

誰がどこを支配し土着の豪族の勢力図はどのようになっているのか

丹念に情報を集めたのだと思います。

彼らは決して武力に頼ることはしませんでした。

そして彼らが最も力を入れて集めた情報がおそらくは・・・

日本に太古からあるピラミッドのことだったと想像します。

そしてついに彼らはそのありかを探しだしました。

秋田青森の県境のクロマンタも優良な候補でした。

しかし彼らが最有力候補として定めたのが帝釈峡の葦嶽山でした。

帝釈峡一帯には巨大な水晶の鉱脈があります。

当時はおそらく人に荒らされることなく手つかずのままにその

磁場エネルギーが噴き出ていたのだと想われます。

ちなみにそれが本物のレムリア人が残したピラミッドであるか

どうかは決定的に重要な事ではありませんでした。

土地の条件さえそろっていればそれでよかったのです。

風水の龍脈エネルギーなどの条件がそろっていれば後は彼らは

自分たちでオベリスクを造り細かなエネルギー調節が出来たのです。

それがおそらく今に残る鬼叫山の巨石遺構だと思えるのです。

後はキャップストーンの到着を待つばかりになったのです。

秦の始皇帝はおそらく待ちに待ったそのピラミッド(蓬莱山)発見の

知らせを聞いて小躍りしたのだと思います。

しかし運命は皮肉です。

始皇帝が日本にやって来ることはありませんでした。

始皇帝は波乱の生涯を閉じます。紀元前210年没49歳でした。

始皇帝は見果てぬ夢を見ることは出来ませんでした。

エジプトのファラオに似せて中国の歴史上初めて皇帝を名乗った

始皇帝も歴史の波に逆らうことは出来なかったのです。

始皇帝没後秦の国は早々と漢に覇権を委ねます。

(クリック拡大/ウィキぺディア)

イッピーの独り言

(始皇帝の万里の長城)

始皇帝は晩年は病気のため自分の死期を悟っていました。

その時にやるべきことはただ一つ・・・

徐福と共に日本に渡った自分の血筋の若者に

キャップストーンを届ける事でした。

出来れば徐福とその一族に

分からなようにして・・・。

その若者は始皇帝の正当な継承者だったのです。

そして永遠に続く帝国を築くという見果てぬ夢を託す事です。

自らはアヌビスと犬星シリウスが導く冥界を支配しながら

いつの日にかまた自分の肉体に戻る事を祈ります。

エジプトでファラオ達がそうしたように・・・。

その為に始皇帝は巨大な規模の地下兵馬傭を築きます。

そこでは物言わぬ数万の兵士たちが自分を守ってくれています。

自分はその地下帝国で君臨するのです。

しばしのあいだ・・・

続きはまたね・・・グッド!

イッピーの独り言

(いけない事したらボクを始皇帝(シカッテ)(汗)・・・それナマリすぎあせる

ペタしてね

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