契約のひつぎ 36 葦嶽山の鳥居の謎

みんな元気ですかドキドキ

前回の続き・・・グッド!

この写真の謎に挑戦します。

以前に書いた「龍の復権」でも同じことを述べましたが・・・

この外れかかった斜めになった額を拡大して良く見ると

「奴国の大王」とあります。最初は気が付きませんでした。

しかしあかねさんがそのことを教えてくれたのです。

最初に浮かぶ疑問ですが・・・

奴国とは何でしょうか。

これは魏志倭人伝に出て来る奴国の事だと思われます。

魏志倭人伝には当時の倭人の国にはたくさんの小国があったと記されています。

ウィキぺディアから拾っただけでも

対海国、一大国、末盧国、伊都国、奴国、不弥国、投馬国、邪馬壱国の他に、遠くに在って国名だけしか分からない国として斯馬国、己百支国、伊邪国、都支国、彌奴国、 好古都国、不呼国、姐奴国、對蘇国、蘇奴国、 呼邑国、華奴蘇奴国、鬼国、爲吾国、鬼奴国、 邪馬国、躬臣国、巴利国、支惟国、烏奴国

と言った国の名前が出てきます。

あの福岡県福岡市の志賀島で見つかり後に国宝になった

「漢倭奴国王金印」を思い出します。

漢の国がまだ国家がなかった倭人(日本)の小国の一つ奴国に

「お前達は家来だぞ」・・・のしるしに送った金印です。

つまり日本には統一され独立した国家はなかったからです。

次に大王とはだれの事でしょうか。

古代日本で大王と言うのは一人しかいません。

それはあの日本の黎明を切り開いたスサノオの事です。

大王や天王と呼ばれ限りない尊崇を集めていました。

彼は日本のいたるところで大王・天王の地名を残しています。

例えば東京の天王洲アイルの天王もスサノオにちなんでいます。

聖徳太子にちなむ太子堂の地名と同じ由来です。

京都の八坂神社に祀られる牛頭天王もスサノオの名前です。

ここでこの疑問の謎解きです。

スサノオがなくなった時には息子のニギハヤヒは大和の国を

すでに統一していました。

この鳥居はスサノオの死後造られたと思われます。

つまりスサノオはこの額の中では当時たくさんあった倭人の国の

小国の一つ奴国の王にすぎないと言っているのです。 

スサノオ親子はその頃すでに日本を統一していました。

なにかとてつもない意図を感じます・・・。

この鳥居が出来たのはかなり昔のことだと思います。

おそらく8世紀の初頭に記紀(古事記・日本書紀)が成立した頃です。

その時期にスサノオ・ニギハヤヒの末裔の物部氏が蘇我氏に

よって滅ぼされ、その蘇我氏もすぐに藤原氏によって滅ぼされ

没落しているのです。スサノオを封印しようとする勢力の

意志が働いている事を強く感じます。

8世紀初頭と言えば今から1300年位前の事です。

その間この木造の鳥居と額がそのままだと言う事はあり得ません。

つまり誰かがこれを常に朽ち果てないように手入れをしていた

と言う事ではないでしょうか。

この鳥居と額は朽ち果ててはいけないのです。

なぜならこれは封印のための重要な結界だからです。

その怨念に似た血族の思いがここには見えます。

・・・とここまでが前回の「龍の復権」での謎解きでした。

しかしこの写真にはより深い謎がまだあるのです。

しかもそれは誰がスサノオを封印したのかという最大の疑問の

答えになるかもしれないのです。

続きはまたね・・・グッド!

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