みんな元気ですか
ボクは思うんだ・・・
本当はね・・・死は神様がくれたプレゼントかもしれないって・・・
身近な人がなくなったり
かわいがっていたペットがなくなったり
死は突然訪れる事があります。
そんな時には人は立ち上がれないほどの悲しみにくれます。
その人にとって耐えきれない痛みにのように思えます。
お釈迦さまも人の生老病死を見て悟りを求めたと言います。
でもね・・・
「(バルド)チベットの使者の書」や「ネイティブアメリカンの教え」
にはこんな事が書いてあります。
「お前が生まれたときにはみんなが笑っている。
しかしお前だけが泣いている。
お前が死ぬときはみんなが泣いている。
しかしお前だけが笑っている」
これって実は本当のことかもしれないって思うんだ・・・
でね・・・これをもし本当の事だって受け入れる事が出来たら
次の事もわかると思うんだ・・・
アミ小さな宇宙人の第3巻「アミ3度目の約束」に
こんな事が書いてある・・・
- アミ 3度めの約束―愛はすべてをこえて (徳間文庫)/エンリケ バリオス
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宇宙人アミが老人クラトにこんな会話をする場面があるんです。
(文庫本の348ページ)
QUOTE:
クラト(ク)・・・「・・・過去ってのは、あとにおいてこなきゃならないものなんだ
から。そうだろう?アミ。」
アミ(ア)・・・「その通りだよ。クラト。まさにそのために死というものがあるんだ。」
(ク)・・・「それはどういうことかね?アミ」
(ア)・・・「宇宙は、自分たちの創造物が、あらたな経験、あらたな環境、
あらたな場所、あらたな人、あらたな考えにふれることで、進化し、成長
して行ってほしいと考えている。ところがそれを阻むのが、君たち自身の
執着心なんだ。きみたちはあまりにいろいろなものにしがみつきすぎている。
自分たちの場所、自分たちの愛するひと、自分たちの物、自分たちの姿、
自分たちの考え、思いで・・・すべてを手ばなしたがらない。きみたちが
そう言ったもろもろの執着から自由になって、別の状態へ、別の幸福へと
とおりぬけるためのたったひとつの道は、いま、その身にまとっている
”服・・・つまり肉体のことだね・・・”を脱ぎ捨てることだ。肉体がほろび、
死をむかえたときにようやく、きみたちは執着からのがれて、あらたな
状態にはいることが出来るんだ。でも、そのかわりにきみたちは、
かつての人生でのことをなにひとつ・・・どんなに愛着のあるものでも・・・
おぼえてはいない。ほんとうは、一人ひとりの心の奥の奥に、記憶は
ひっそりとねむっているんだけど・・・」
「わたしたちが死ぬのは、そのためなの?」とビンカがたずねた。
(ア)・・・「そう、ざんねんながら、いまのきみたちがあらたな状態に
うつるためには、”死”を利用するほかに道はないんだ。でも、もし
きみたちが、もっと進化したひとたちのようにもう少し執着から
はなれることができれば、”死”という、痛ましくて苦しいプロセスは
いらなくなる。進んだ魂たちは、もはや”死”を通過しなくとも、自分の
意志だけでかんたんに、宇宙が用意してくれた新しい状態の中へ
飛び込んでいけるんだよ。しかも前の人生でのことを忘れたり
しないでね。ぼくの中にも、自分が半分ゴリラだったころからいまに
いたるまで、記憶はぜんぶのこっているよ。」
UNQUOTE:
ところで話はそれますが・・・ボクには確信に近いものがあります。
この宇宙人アミは実在します。この本の作者のエンリケ・パリオスさんは
実際にアミに会っているんです・・・。
続きはまたね・・・
(ねむりの中であっちの世界を・・・確認中のボク・・・って、ねてるだけやん)