宗教画とUFO 3 空白の18年

みんな元気ですかドキドキ

前回の続き・・・グッド!

表題の「空白の18年」とはキリストの12歳から30歳までの

行動の記録がまったくないところからきています。

若きキリストがどこで何をしていたのかはっきりとは分かって

いないのですが、実はその間インドでバラモンの修業をしていた

という説があります。

前回キリストと釈迦の違いについて述べました。

キリストは天性の覚醒をした人であり、それに対して釈迦は

あらゆる修業を経てそれを身につけたという点でした。

しかしキリストがインドで修行していたという説が本当ならば

前回述べた二人の違いは大して意味を持たなくなります。

聖書にしろ仏教の経典にしろ後世に弟子たちを中心にして

編纂されたものです。本人が書き残したものは一切ありません。

おそら宗教として成立したころから原始キリスト教、原始仏教の

姿は二人の師の教えから徐々にかけ離れて行った事は想像に

難くありません・・・。古事記・日本書紀のように為政者の

都合で真実が書き変えられる事も珍しくありません。

空白の18年とは何かの意志が働いて記録が消された可能性が

あるような気がするのです・・・。

話を本筋に戻します。

前回メディスンマンやチベット密教の修業、そして日本の修験道の

事をお話しました。これらには同じ種類の術を身につける事に

多くの共通点があります。この同じ術を身につける・・・という点ですが

実は見方を変えるとこれが修業の限界でもあるんです。

たしかに変性意識状態で空を飛ぶ「鳥の目」になることも出来る

かもしれません。遠くまで「瞬間移動」も出来るかもしれません。

さらには複数の場所に現れる「同時存在の術」や他にも「樹木」に

なりきる術などたくさんの、それこそ摩訶不思議な術が可能かも

しれません・・・。

しかし・・・どこまで行ってもそれがどうしたの?という話です。

なぜなら現代のテクノロジーでほとんど代替が可能なんです。

単純な比較や結論に導く事は出来ないかもしれませんが、

それらの術を完成習得するまでに修行にかけた時間やコストや

家族などの犠牲や諸々を考慮するとどうも計算が合わないのです。

コスト・ベネフィットといいますかリスク・リヲードレシオに無理が

あるんです。ある程度の術の完成を見る事が出来るのならまだ

いいんです。術の習得よりその修業の過程が大切なんだという

論もあるからです。しかし途中であきらめたり修業のつらさに

敗北してしまうリスクの高さはとても大きいんです。

99%以上の修行者は途中で脱落してもおかしくはないんです。

それにこのような修業を経て覚醒した行者は皆無だという説も

あります。妙に説得力がある説です。

この章の結論です・・・

これらの修行者と釈迦・キリストの間にはそれこそ天と地ほどの

意識の違いがあります。

それは・・・

前者は覚醒することも含めてあくまでも自分のための修業です。

しかし釈迦・キリストは全人類を救う事が目的でした。

そして・・・もしそうであるならば

キリストの空白の18年も実はさらに分からなくなってしまいます。

インドにやってきて自分のために修業をしたのでしょうか。

キリストほどの人が修業と言うことの意味を知るためだけに18年も

かけたのでしょうか。

それよりも何よりも・・・

12才の子供が一人でイスラエルあたりからインドまで歩いて

行けるんでしょうか。

まだ何か隠されている大きな真実が

そこにはあるような気がします・・・

続きはまたね・・・グッド!

イッピーの独り言

(行けるよ・・・ファルコンの背中に乗って・・・こうやって・・・ビューンってオバケ

ペタしてね