みんな元気ですか
昨日の続き・・・
(編集再掲載を続けます)
大河ドラマとか大河小説ってあるよね。
あの大河って言うのはもちろん大きな川って事。
あの大河って人々を巻き込んで行く運命みたいなもの
と言うような解釈が一般的なんだろうと思う。
ボクは思うんだ・・・
本当は「時の流れ」を意味しているんじゃないかなって。
大河ドラマの中には時が流れます。
いくつかの世代にわたって物語が展開していきます。
そこには世代を超えて伝わって行く何かがあります。
変わらない何かもあるけど・・・河の流れのように
必ず世代を経て変わっていく何かがある。
原因を作る誰かがいる。
そして時を経て
その結果のドラマに登場人物が巻き込まれていく。
それが見てる人の感情移入を誘い
共感させたり感動させるんじゃないだろうかって。
つまり時間が重要な要素になっていることが多いと思うんです。
ちなみに時間が凝縮されているって言えば時々そんな歌に出会います。
例えばさだまさしさんの歌には時間がつまっています。
人はだんだんと歳を重ねて行くけれどその中での変わらない思い。
あるいは変わって行く思い・・・を歌っているものが彼の歌にはあります。
時間がつまっているとなぜか歌も味わいが深いんです。
もし単に昔の光景を思い出している場面を歌っているのであれば
そこには時間の流れを感じることはありません。
それはおそらく「過ぎた日のある時」なんです。
時間を切り取っただけ。
人は昔のある時の光景を鮮明に覚えていて感傷に浸ることは出来ます。
でもそれは思い出なんです。
思い出はある意味その人だけのものです。
多くの人を何かの力で引き込む力をもつ思い出を描いたものは
それほど多くはありません。
なぜなら思い出はその人だけのもので多くの人には共通しないからです。
しかしその思い出が時を経て今につながる時
俄然そのお話しは深みを増します。
同じ時を経た人の心の中でそのお話しは生きて来るんです。
まるで命を吹き込まれるように・・・。
時間の流れが芸術作品に深みを増す・・・
と言う意味ではピカソの絵もよく取り上げられます。
同じ人物の表情が違った時間の中で捉えられているという
説明を聞いたことがあります。
そう思うとあの変な絵も違って見えて来るような気がします。
話をもとに戻します・・・
時々小説の中に川が描かれる事があります。
学校の校舎の横を川が流れているとか
子供の頃川の土手でよく遊んだとか
川沿いの道を歩いて学校に通った。
という何気ない風景の一部として・・・。
その作品の中で特別にその川の意味の説明はないことが多いんです。
でもその川が時の流れを暗示していることが多くあります。
そんな読み方をすると何気なく流して読んでいた小説も
深みを増すかもしれないですね。
川・・・だけに(あは!)
続きはまたね・・・
(ボク・・・川は苦手かも・・・だって泳げないんだ・・・へみし~)