サングリア 5 現れたUFO

みんな元気ですかドキドキ

昨日の続き・・・グッド!

宗教画とUFOのシリーズで何度かご紹介しましたが

エジプトのピラミッド時代からモーゼ及びキリストを経て現代に至る

まで地球は主なイベントが起きるたびに地球外の知性を持った存在に

関与され(守られ)てきました。

$イッピーの独り言
(「受胎告知」の絵画)

$イッピーの独り言
(「キリストの洗礼」の絵画)

このようなUFOの関与はキリスト教やユダヤ教だけでは

ありません。イスラム教にも同様に異星人の関与と思われる

事例があります。

イスラム教の教祖・ムハンマドは一夜のうちに昇天する旅

(ミウラージュ)を「岩のドーム」で体験したとされています。

コーランでは、マディーナ(メディナ)の預言者のモスクに

住んでいたムハンマドが、神の意志により「聖なるモスク」

すなわちマッカ(メッカ)(注:サウディアラビア)の

カアバ神殿から一夜のうちに「遠隔の礼拝堂」すなわち

エルサレム神殿までの旅をしたと語っています(17章1節)。

伝承によると、このときムハンマドは大天使ガブリエルに

伴われエルサレムの神殿上の岩から天馬ブラークに乗って昇天し

神アッラーフの御前に至ったのだという。

上記はウィキペディアからの引用ですがこれは明らかに

UFO(天馬ブラーク)での移動だと思えます。

上に挙げたような絵画はほかにもたくさん存在します。

我々は現代にいたりそのことがまったくおとぎばなしの

夢物語であり、あたかも「とんでも」な事だと思い込むように

洗脳されて来ました。キリスト教の教会もそのことに

加担して来ました。そのことに触れただけで異端者として

破門や厳罰の対象にされたのです。宗教者の波紋は当時は

一族の死を意味していました・・・。

ちょうどフィリップ4世がテンプル騎士団を糾弾した時に

使った口実が「異端者」の集団であるという事だったように。

しかし・・・

当然のことですがテンプル騎士団の幹部は

異星人の存在や関与を知っていたと思うのが自然なのです。

おそらく現代よりは当時の彼らの方が異星人の存在や関与に

ついてはより沢山の情報を持っていた可能性もあります。

現代のようにあからさまに情報が隠ぺいされてはいなかった

のです。一般にはその意味もよく理解されていなかったかも

しれません。つまり実際に起きた事実がそのまま伝えられて

いたと考えられるのです。

そこで本題です・・・

テンプル騎士団が探していたものとはもちろんソロモンの神殿に

隠されていたと言われるモーゼの「契約の櫃」もありますが

ずばり「キリストの遺骨」だったとのではないかと推測します。

もし異星人の存在や関与が明白であれば次に人は何に興味を

持つかと考えると、聖櫃や聖杯よりもキリストその人が

果たして地球人だったのかそれとも異星人だったのか、

あるいはどちらでもなくその中間のような造られた存在だった

のか・・・と言った事の真実を探ることに興味を持つのでは

ないかと推測するのです。同時に我々が考えるより当時は

はるかに進んだ科学力や数学力を持っていました。

事の真実を解明する能力は十分持っていたと思えるのです。

時はおりしも中世ルネッサンスの黎明期だったのです。

そのことを通じて彼らは自分たちが仕える「神」の真実を

明らかにしようとした・・・あるいは理解しようとしたのでは

ないかと想像します。探求の目的としてはそのことの方が

より意味を持つと考えます。聖櫃も聖杯も共に探求の最終

ゴールではありません。あくまでも探求のための手段なのです。

キリストはエルサレムの近くゴルゴダの丘で処刑されています。

そしてこの岩のドームに埋葬されていた可能性があるのです。

実際にその言い伝えがあります。

聖典では一般的にはキリストは3日後に復活しさらに数日後に

昇天したとされています。しかしこの「復活」と「昇天」の

事実は極めて曖昧に表現されています。聖書(福音書)により

述べてあることが違うのです。例えば肉体も同時に昇天したのか

あるいは魂のみの事なのか、実際のところは聖典では分かりません。

テンプル騎士団はこの疑問に関しては現代よりもはるかに

真実に近いところにいたのではないでしょうか。

だからこそ彼らはキリストその人の遺骨を探していた・・・

あるいはすでに見つけてこれを守っていた・・・

のではないかと想像するのです。

以下は今でも頻繁に「岩のドーム」に現れるUFOの映像です。

この映像は昨年1月の日付けですが、多くの人が別の角度から

これを撮影しています。

UFOが岩のドームの内部に何か作業をしているように見えます。

テンプル騎士団がいた当時にキリストの遺骨が彼らによって

持ち去られたという記録はありません。

おそらく持ち去られてはいないと考えます。

なぜならもしそうであればすぐにバチカンに運ばれた

と思うのが自然です。しかもテンプル騎士団は事半ばにして

エルサレムから撤退しているのです。

おそらくキリストの遺骨に関する攻防は今でも続いて

いるのではないかと思うのです。

もしそうだとしたら

それは何を意味するのでしょうか・・・。

続きはまたね・・・グッド!

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