みんな元気ですか
文学者芹沢光治良(せりざわこうじろう)の紹介です・・・
晩年は独特の神秘的世界を追求した芹沢ですが
本来は純文学の世界でゆるぎない地位を築いた作家でした。
ウィキペディアから芹沢の略歴引用です・・・
QUOTE:
芹沢 光治良(せりざわ こうじろう、1896年5月4日 – 1993年3月23日は
日本の小説家。静岡県沼津市名誉市民。現在日本ではあまり知られて
いない作家であるが、海外ではフランスを中心としてヨーロッパで評価が
高く代表作『巴里に死す』、『人間の運命』や『神の微笑』はノーベル文学賞
候補に挙げられた。また自身もノーベル文学賞の選考委員を務めたことも
ある。晩年には「神シリーズ」と呼ばれる、神を題材にした一連の作品で
独特な神秘的世界を描いた。
UNQUOTE:
芹沢は日本文学の作家の組織「日本ペンクラブ」の会長も務めていました。
神秘の世界とはおよそかけ離れた地位にいたにも関わらず心の世界や
神との対話などを深く掘り下げた異色の文芸作家でした。
代表作「巴里に死す」や「人間の運命」にもその独特の世界が
余すところなく綴られています。
不思議な存在が彼に話しかける場面が真実味を持って
何度も登場します。晩年、96歳で亡くなるまで、1年に一冊書きためた
「神の微笑(ほほえみ)」シリーズが遺作になりました。
87歳から書き始めて全部で9冊あります。
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その中の一節です。彼が初めて樹木と話をする場面がとても印象的
なのでご紹介します。これは神シリーズ一作目の最初に出てきます。
その後、彼は色々な樹木と会話をするようになります。
彼は昭和5年からほとんど毎年中軽井沢で夏の2カ月を過ごします。
結核の療養のためにお医者さんから勧められた事がきっかけです。
その軽井沢でのひとコマ。
毎年通っていた軽井沢に今年は体力もなく初めて行くのをやめに
しようと思っていたが娘さんに車で連れてこられたところです・・・
QUOTE:
—やはり空気がさわやかね。樹木の緑がこんなに鮮やかだとは、
忘れていたわ・・・と娘は喜びの声を挙げて、一年ぶりに開けた家の
なかを、活発に駆け廻るような調子で掃除や布団乾しにかかった。
やむなく僕は寝椅子を森の中に運び出し、それに仰臥してすぐに
森林浴をはじめた。
たしかに空気は緑に澄んで胸を洗って、全身にしみわたるが、
半世紀前に僕が植えた楓(かえで)の樹々がすっかり壮年になって、
頑張って地表にまで根を張り、おのおの声をかけて、僕を激励する
のだ・・・
その樹々の語る言葉がわかったのは、まだ数年前の事だが、
おやじさんとか、先生とか呼んで、今年もお会いできました、よかった。
この根を見てください。こんなに自分たちも頑張っているのだから、
先生も頑張ってくださいよ。山で一緒にいい空気を浴びて、体も心も
若くしてくださいよ・・・
初めて声をかけられた時には、どぎもを抜かれたが、同時に
目頭が熱くなったものだ。それを機会に僕はわが育てた樹々と話が
出来る事を発見して、人生に喜びが一つ増したように秘かに思った。
そして、毎年高原の家に着くなり、樹々に話しかけてみて、あの時
だけの錯覚でないことをたしかめた。
中略
愛は奇蹟をうむというが、(心をかけて育てた)樹々との会話も愛の
奇蹟であったかと、僕は目も耳も洗われた思いがした—
UNQUOTE:
この後おなじ高原の家の庭の「泰山木(たいざんぼく)」との会話の
場面も強く印象に残っています。泰山木が芹沢の奥さんが体が
弱って軽井沢に来られなくなったので、お世話になったお礼に
小鳥と相談して庭に菜の花をいっぱいに咲かせるんです。
そうすれば奥さんがそれを見に来るかもしれないと思って・・・。
全体を通して難しい表現はあまり使われていません。漢字に変換
していない単語も多く出てきます。それだけに芹沢の文章は本当に
それが起こったことを実感させます。
彼がなくなった後で芹沢の中軽井沢の別荘を
ある夏訪ねてみたことがあります。
星野温泉への道を途中右に折れて少し行ったところでした。
主のいなくなった樹々はさびしそうでした。
もうすぐ、梅雨が明ければ軽井沢にも短い夏が来ます。
(ん・・・いまおいらに誰か話しかけたかな・・・)