外国で暮らすと言う事 2 飲み物はいかが

みんな元気ですかドキドキ

彼我の違いについて・・・グッド!

外国の人も日本人も「皆同じ人間だから」という言い方があります。

話せばわかる・・・とか、お互いに理解出来るはず・・・

と言ったような言葉がそのあとに続くわけです。

もちろん生死の問題や根源的な所では一緒かもしれません。

しかし感情表現や生活習慣はかなり違います。

昨日ご紹介した藤原正彦先生がこんな事を言っています。

前略

夫が妻を低く言う習慣は、善悪はともかく日本で広く見られるものです。

ただ外国人相手では要注意です。

アメリカ人に私が女房を「愚妻です」(This is my stupid wife.)

と紹介したらその場の皆が凍りついてしまいました。

彼らは奥さんを「マイビューティフルワイフ」などと、あっけにとられることを

平気で言うのです。

後略

その場面を想像するとかなり気まずい波が広がったんだろうと想像します。

これで「あいつとはまともに話が出来ない」という評価を

受けても仕方がないかもしれません。

ほかにも外国の人と接しているとよく経験する事ですが、

家に招いた時最初に「何か飲みますか」と尋ねると

日本人ならまず、「いいえ結構です」とか遠慮します。

あるいは日本のお家ならまず置いてあるだろうものを想像して

出来るだけ迷惑がかからないように「それではお茶をいただけますか・・・」

とかおそるおそる申し出る位がせいぜいだと思います。

つまり物よりも「思いやりの心」を優先します。

ところが外国の人の場合だとまず「何がありますか」

(What do you have?)と聞かれるのが普通でしょう。

こちらはお互いの心地よさを優先することになります。

健康志向ブームで最近はお茶は人気ですが、ほかにも

コーラにアイスコーヒー、場合によって多少の下心があれば

お酒の類をすすめたりするかもしれませんね・・・

男性女性のどちらがホストであれ・・・!

とにかくあるものをまるでレストランのメニューのように紹介します。

ちなみに「何でもあるわよ!」と言うのは英語では

(You name it!)と言ったところでしょうか。

お客であっても自分の好みをはっきりと伝えた方が相手も

気分がよいだろうという考えです。

ただこの使いわけにも限度があるので慣れないとなかなか

難しいところだと悩んだりするわけですが・・・。

外国の人に礼儀正しいつもりで遠慮すると

「この人は私を受け入れてくれない・・・」

となりますし、後の会話もぎこちなくなることになりかねません。

外国では遠慮することと礼儀正しいことは同じではありません。

日本人にはなかなか分かりにくいところです。

生きた外国語を学ぶと言う事はその違いを

使い分けられるようになる事かも知れません。

少し場面は違いますが・・・

アメリカ人と話していて映画の話題になって苦労するのは

そのタイトルを英語の原題で覚えていなければなかなか話が

先に進まない事です。

日本語での映画のタイトルはかなり原題とは離れている事が

多いからです。例えば「巡り合えたら」というメグ・ライアンと

トム・ハンクスのラブロマンス映画がありました。

原題は「Sleepless In Seattle」といいます。

邦題からは想像出来ないタイトルです・・・。

話しは変わりますが・・・

以前こんな事を書きました・・・。

単純な比較だと宗教者には叱られるかもしれませんが

キリストは天性の聖人であり超能力者だったという評価があります。

つまり生まれながらにして神のみ使いでした。

それに比較して釈迦はあらゆる修行をしてそれを身に付けたと

言われることがあります。

もちろん釈迦の達した悟りの境地や残した言葉の

味わい深さを思うとはたしてこれが修行のみで達することができる

境地だろうかと思わないでもありませんが・・・。

生まれてすぐに東西南北に7歩あるき

「天上天下唯我独尊」と言った事とかを信じれば

必ずしも後天的に身に付けた能力とは言えないかも

しれませんが、この違いを持つキリストと釈迦が西洋と東洋に

それぞれがいたのはとても偶然とは思えません。

続きます・・・グッド!

イッピーの独り言

(僕はワンでよかったなぁ・・・だってそんなことに悩まなくていいんだもん・・・あ、コーラください音譜

ペタしてね

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です