みんな元気ですか
前回のつづき・・・
イチョウの木の「地球の未来」のおはなしはさらに続きます。
人間が樹木や花などの植物と話が出来るようになったら
その時に何が起きたのか・・・
その時には人間が今より多くの脳の部分を使えるようになっている。
地球上の植物に関する知識が増えたことと比例して人間は
地球の事をより深く知ることになったんだ。
例えば植物と気候の関係や、深層海流との関係。
それに伴う地球上をめぐる貿易風のこと。
それに海の生態系との関係など、地表の植物とより深い
関連があることも人間は知るようになった。
同時に植物と深い関係のあるミネラル・・・つまり鉱物の事に
ついてもより深い理解が出来るようになった。
これはもちろん植物から教えてもらったことが大きい。
植物は人間が想像した以上に卓越した科学者だったのだ。
余談だが・・・
ある種の樹木は地中深く根をはっている。
その形はまるで人の脳の神経細胞のような役割をしている。
同時に地表に伸びた枝葉はアンテナの役割もしている。
これで私たちは情報交換も出来る。われわれ植物は
人間が想像する以上に植物同士であらゆる情報を
共有することが出来るんだよ。
雪の深い山奥で次に来る冬の雪の深さをあらかじめ予測する
事が出来る。それを樹木はカマキリなどの昆虫に教える。
だからある種のカマキリは雪に埋もれる高さの枝には卵を
産みつけることはしない。これはカマキリの能力と思われて
いるが実際はそうじゃない。樹木がカマキリに教えているんだよ。
話を元に戻そう・・・
人類は植物の能力を知るとすぐに協調関係を強めて植物を
助けるようになった。そしてさらにお互いを必要とする関係を
深めて行ったんだ。地球規模での植林がおこなわれた。
さらに・・・人は地球に関する知識が増えると、それに比例して
脳の使用可能部分が飛躍的に増えたんだ。
すると予期しない素晴らしい事が人間に起きた・・・。
まず人間の寿命が延びたんだ。
これは植物のおかげで病気が減って寿命が延びたのは
間違いないんだが、実は当初はわかっていなかったことがある。
つまり今より多くの脳の部分を使えるようになったから寿命が
延びたのか、健康になって寿命が延びたから脳のより多くの部分を
使えるようになったのか・・・。
そのことで論争が起きたんだ。
でもこの論争から人間が学んだことがある。
それは「受け入れることの大切さ」なのさ。
議論をするよりも先に事実を受け入れることで人はその先に
進める事も発見したんだ。だからこれは世界的な寿命論争では
あったけど、それ以降の科学のあり方を根本から変えた。
これも植物の恩恵だけど・・・
つまり「分析的手法」は「統合的手法」に主流が変化していった。
分析は「議論」からはじまる。
しかし統合は全体をみる作業からはじまる。
このためには「競う議論」じゃなくて各分野の専門家が
「知恵を出し合う」作業から始まるんだ。
この変化は医学界から始まった。
それまでの「病気を治す」分析的やり方では限界があった。
治しても人はまた同じ病気になるから。
だから植物の知恵を借りて、病気にならないための予防医学に
変わって行った。今の統合医療とか代替医療を中心とした
東洋医学が主流になって行った。そんな試行錯誤も初期の
時代にはあった。結果として人間の寿命は飛躍的に伸びた。
その寿命の変化は徐々に訪れた。
今で考える命の概念さえ変わるくらいに寿命が延びたんだよ。
旧約聖書に出てくる初めの人間の寿命を知っているかい。
数百歳の年令が普通になる。実はそれくらい寿命が
延びたんだよ。そしてもっと劇的な変化が訪れる。
それは人の心に表れた・・・。
みんなよく笑うようになった。
健康になったから笑うようになったのか笑うようになったから寿命が
延びたのかこれもよくわかっていない。ストレスがなくなれば人は
健康に成れることは以前からわかっていた。しかしそんな次元を
超えるレベルで寿命は延びたんだ。たしかに寿命をつかさどる
テロメアのDNAが劇的に変化していたんだが、
それがなぜかなんて・・・
そんな分析をするものもその頃はもう誰もいなかった。
みんなそれを楽しんでいた。楽しむ事に忙しくて分析に使う時間が
なかったんだ。寿命が延びたから暇が増えてやることがなくなり孤独な
老人が増えるという心配をする人も最初はいた。しかしその心配は
あたっていなかった。
イチョウの木は想像をはるかに超えることをさらに教えてくれた。
続きはまたね・・・
(その時・・・お、おいらたちの命は延びるんだろうか・・・いみし)