陰陽師の謎 23 徐福と「艮の金神」(うしとらのこんじん)

みんな元気ですかドキドキ

前回の続き・・・グッド!

スサノオ・二ギハヤヒがいた日本の古代の政治は「祀りごと」

(まつりごと)でした。

宗教・社会・政治・経済は文字通り一体でした。

この事は現代の我々が考える感覚とはかなり違っています。

現代の感覚でいくと政治体制を神や仏に加護してもらう為に朝夕に

祈りを捧げる・・・といった程度の理解だと思います。

しかし当時は支配者階級はほとんどが霊能力を持っていました。

特にスサノオ・ニギハヤヒは優れた霊能者でした。

魏志倭人伝によりますとあの「卑弥呼」も「鬼道にすぐれ・・・」とあります。

この鬼道とは霊能力の事です。恐らくスサノオ・二ギハヤヒは卑弥呼より

はるかに優れた霊能力を持っていたと考えられます。

ちなみにこの鬼道の「おに」ですが、まがまがしき鬼の意味は

当時はありませんでした。ある勢力の意志が働いてその意味が

いわゆる「鬼」のイメージにすり替えられていると思えます。

話しは変わりますが・・・

スサノオの時代より200年くらい前に先祖集団が渡来して

以来日本の地形は徐福たちによってくまなく調べられました。

前出のように徐福の足跡は日本の隅々にまで及んでいます。

徐福は間違いなく日本中を移動しているのです。

なぜ徐福はそれほどまでに日本中をくまなく旅したのでしょうか。

何のためにそんなに時間と労力がかかることをしたのでしょうか。

それはもちろん地形を調べることから始まり、どこにどんな豪族や

政治的勢力がいるかという国家統一のための情報収集であった事は

疑いがありません。それと同時に地方の勢力を統一するためには

どの程度の武力が必要かという調査も兼ねたと思えます。

情報収集の見返りに稲作の指導などもしています。

彼らは平和的な使者として行動したのです。尊敬も集めました。

人々は徐福を歓迎したのです。

しかしもうひとつ・・・

それらにもまして重要な作業があったと思われます。

日本の地形の全体のエネルギーの構造・・・つまり・・・

龍脈の構造を調べたのではないでしょうか。

ここに「祀りごと」が生まれた意味があります。

これが前回の始皇帝の陵墓と繋がります。

始皇帝の陵墓は全体が風水・龍脈の構造になっています。

陵墓全体の劣化を防ぐ事と始皇帝の肉体と魂を聖なる

存在のままに保てるように。

そして未来にわたって龍脈のエネルギーがそそがれるように。

徐福の集団は始皇帝の最高のブレーンを引き連れていました。

その中には当然今で言う風水師がいたと思う方が自然なのです。

と言うよりも・・・おそらく徐福自身も”鬼道に秀でていた”

と思えるのです。鬼道と風水師と霊能力は同じものなのです。

余談ですが・・・

始皇帝の陵墓の龍脈の構造は・・・2000年の時を経て今この時代に

その姿が明らかにされつつあります。

同時にあのエジプトの古代ピラミッドも龍脈の構造になっていて、

同様にその意味が今まさに明らかになっているように思えます。

いま日本中で封印解除が進んでいます。

時空を超えてこれらが今繋がりを見せているのは偶然でしょうか・・・。

徐福たちは全国を廻り日本の地形を調べました。

そこに見たものは巨大な龍骨の構造でした。

彼らは巨大な金色の龍神がゆりかごの中で

四方を豊かな海に抱かれて眠っている姿を見たのでした。。

富士と言う蓬莱山を抱きながら。

それは艮の金神でした・・・

続きはまたね・・・グッド!

イッピーの独り言

(へへ、その龍さんおいら知ってるよ・・・友達だよ・・・って、マジ汗

ペタしてね

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