みんな元気ですか
前回の続き・・・
二ギハヤヒ以前の古代日本は歴史の教科書では
縄文時代が終わり弥生時代だと説明しています。
実際には・・・
九州を除いた日本のほとんどがおそらくアイヌ民族の勢力範囲でした。
日本の縄文人・弥生人はアイヌ民族だったと思われます。
北陸、関東、近畿、中国・四国地方にもその痕跡が多くあります。
高知県安芸市(あきし)赤野坂本の大元神社の記録には
こんな事が書いてあるそうです。
「この地は古代土佐原人の住居跡で、洪積層から石器、石斧、
石包丁などが発見され、土佐原人アイヌ民族の遺跡であり、アケヌ、
アカノ、アナナイ等のアイヌ語を村名に残している」・・・と。
アイヌ民族は日本を統一をするためにはライバルだったようです。
アイヌから見た当時の歴史はどのように映るのでしょうか・・・
それを知る方法はあまり残されていません。
アイヌには文字がありませんでした・・・。
アイヌの伝承の叙事詩ユーカラには神々や大自然との交流は
出てきますが大規模な戦いの歴史は出てきません。散発的に
倭人と戦った英雄伝説があるくらいです。すべて口伝伝承です。
いずれにしても大和民族は地の利を得ていました。
天然の良港に恵まれ外国とも交流をしていた大和は
一歩も二歩も有利な戦いをしていたと思われます。
それも歴史の必然なのでしょうか。
それに・・・
そもそも土地の支配をめぐる戦いがあったかどうかも少々
疑問なのです。当時土地は「支配」するものだという考え方は
無かったのではないでしょうか。北米先住民族の大酋長シアトルが
土地を支配しようとしたアメリカ大統領に宛てた手紙にあるように。
スサノオ・二ギハヤヒの日本統一の前に徐福は日本各地を巡り
先住者に稲作を教え、治水・灌漑用水を整備しています。
先住者は外部からの人間の持つ進んだ技術・指導に感謝こそしますが
悪い感情は持っていなかったと思えるのです。
自分たちの生活が今までよりはるかに豊かになったのですから。
大自然の神を敬い、大自然とともに生きる・・・という意味ではアイヌも
二ギハヤヒ達の新興勢力も考えは同じでした。
戦う必要はなかったのかもしれません・・・。
西暦200年代の中ごろから日本は二ギハヤヒにより初めて
国家としての形を整えます。
時は過ぎ・・・
大自然を味方につけ大自然とともに生きるという先人の考え方は
本来の意味の「祀りごと」の政治に活かされました。
大自然への祈りと社会・政治は一体だったのです。
国はそれまでと比べ物にならないほど豊かになりました。
穀物や山の幸・海の幸の食料の安定的供給が確保できたのです。
ところがこの豊かさは時を経て戦いの原因となりました。
豊かさは富の蓄積に繋がります。人はより大きな富を求めます。
物部氏、曽我氏、藤原氏と続いた争いは表面的には氏族の勢力争い
でしたが豊かさゆえの人間の権力闘争でした。
歴史の必然とも思えますが・・・
古来から続いた神道が敗れ、大陸からもたらされた仏教に主導権を
明け渡しました。宗教的変遷という人の心の大きなよりどころの変化を
同時に体験したのです。
人の心は大自然に向けられることは少なくなります。
祈りの力は次第に権力闘争のための道具として使われるようになります。
神と大自然への感謝の祈りは呪術へと姿を変えて行きました。
一陣の風が吹きわたり新たな時がまた刻まれます。
陰陽師の登場です・・・
(再び陰陽師登場・・・)