陰陽師の謎 30 歴史を見てきた瀬戸内の海

みんな元気ですかドキドキ

昨日のつづき・・・グッド!

スサノオに付けられたイカズチノカミという神名は大自然と

共に歩む農耕の神という意味が込められていました。

決してあらぶる神の意味ではありませんでした。

大自然を敬い大自然とともに歩むことで日本の黎明期は

切り開かれました。さらに二ギハヤヒにより大陸から

もたらされたさまざまな先進技術も人々の生活をより安定に

導きました。二ギハヤヒは大神神社に日本最初の都を開き

宮殿を造りました。さらに宮殿の地を中心として当時では驚きの

整備された道路を作ります。今の「山野辺の道」です。

大和時代の後世の天皇もこの道路に沿って屋敷を構え

神社や聖跡碑を造りました。次に水路の整備です。

大和川と初瀬川の水路を遡る物資の流通経路を完成します。

物資が流通するようになれば市が立ち商業が繁栄します。

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人が目的を持って集まって来ます。

今までとは全く違った都市の誕生です。

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そのすべてが大神神社を起点としているのです。

当時は大阪湾は今よりはるかに奥まで入り込んでいました。

この大和川は遠く海を越えて海外からの交易船の終着点と

なったのです。さまざまな異国の船が行き来していたと

思えます。すべての船が波静かな瀬戸の内海を通ってこの

大和川までたどり着いたのです。後の時代に平清盛が宮島の

厳島神社に海上に浮かぶ大鳥居を構え当時の中国の南宋から

来る貿易船にその威容を見せつけたのも二ギハヤヒの海上交易の

基盤作りが無ければ成り立たなかったのです。その意味で

二ギハヤヒがいなければ厳島神社はなかったのです。

一方愛媛県の大三島に瀬戸内海をにらむ位置に大山祇神社が

創建されたのも偶然ではありませんでした。父スサノオ、つまり

大海の神(おおわだつみのかみ)がいつも海上から日本の大局を

見守っていたのでした。

すべては大和川につながっていました。

このことが大いに阿部清明と関係があるのです・・・

続きはまたね・・・グッド!

イッピーの独り言

(またまた陰陽師・・・グッド!

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