みんな元気ですか
古代日本の言葉について・・・
以前こんな事を書きました。
青い水の星地球が誕生したのは物理学的な偶然でしょうか。
偶然だとすればどのくらいの確立なんでしょう。
おそらく宇宙の中の自然発生の確率から行くと
それこそ数字の単位である「億」「京」を超えて「那由他」
も超える単位・・・おそらくその上の「不可思議」さえも超える
確立だと思えます。
余談ですが億・京・那由他・不可思議は大きい数字の単位ですが
小さいほうの数字の単位にもいくつかなじみがあると思います。
分・厘・毛・糸などの単位は今でも投資銀行で
金利の利率の計算に使われています。
それより小さい単位に微・塵・漠・逡巡・刹那・虚空・・・等があります。
ちなみに一番小さい単位は「涅槃寂静」と言います。
いかにも神の世界の本当に微細で精妙な波動の感じがします。
漢字の数字は俄然命をもって見えてくるのはなぜでしょうか。
日本には古代から「和算」という高等数学が発達していた
理由もわかるような気がします。
話をもとに戻します・・・。
大きい数字の確率でとらえるか、小さい数字の確率でとらえるかは
別としてこの地球が宇宙で誕生し同時に存在し続けるという
確率は数字では表せない事は誰も疑問をもたないと思います。
この人智を超えた偶然はもはや偶然とは言いません。
それは必然と言います。
だとするとそこには明らかにある意志が働いています。
その大いなる意志は地球を緑豊かな水の青い星に
するという意志を持っていたことになります。
その大いなる意志が何者なのか・・・あるいは
地球がなんの目的で作られたのかは別として、
今日の「照さん」のブログの世見
には日本の言葉が
むかしは地球の言葉として使われていた可能性を示唆しています。
彼女の表現では一つの言葉を持った「地球家族」であった・・・
そしてなぜ日本が神国と呼ばれているのか・・・
という理由についても触れています。
その理由を掘り下げることはいつかまたの機会にゆだねたいと
思いますが、表題に選んだテーマ「古代の日本にもしタイムトリップ」
したら、この言葉の事がどうなるのかについて次回触れてみたいと
思います。
続きはまたね・・・
(言葉が通じなかったら・・・ねちゃうボク)