みんな元気ですか
古代日本の言葉の続きです・・・
もし現代の人が昔の天平や奈良時代に迷い込んで
そこに住むことになったらたくさん困ることが出てくると思います。
その中でも何が一番困るかと言うと、もちろん衣食住全般では
ありますが、その元となるのはやはり数字だと思うんです。
その前提となる言葉ももちろんそうだとは思います。
でも言葉は同じ日本人です。いくら時代が違うと言ってもある程度
は勘で想像がつくのではないかと思います。
初めて外国暮らしを始めた時の経験から言うと数字でした。
ちなみに20代の前半に生まれて初めての外国のフランスで
暮らすことになりました。その時の経験ですが・・・。
食べるものを買う必要が早速出てきます。その前に食器を買い揃える
事から始めます。パンや野菜がいくらするのかから始まって、
いま何時だろうとかこの町には何人暮らしているのかとか、
大きな建物を見れば高さがどれ位だろうとか、生活に数字が
占める部分はかなり大きいのです。
言葉は移住をする前にある程度準備をしますので、その意味では
古代日本にタイムトリップするのとあまり違いがないように思うんです。
ただ、現代と古代とでは同じ言葉でもかなり発音が違うようです。
例えば「ち」「つ」は「ティ」「トゥ」と発音したようです。
「は行」のはひふへほ・・・がぱぴぷぺぽ・・・だったり
「お」は「ウォ」だったようです。
だから数字の「ひとつ」は「ピトトゥ」になるそうです。
「ふたつ」は「プタトゥ」です。おやじギャグやダジャレのネタには
困らなくなりそうですが、ちょっとややこしくて慣れないと舌を噛みそう。
もうどうにでもしてって感じです・・・あは!
昨日の照さんのブログではありませんが、こうなるともう日本語に
聞こえないかもしれません。
日本語の中には古代ヘブライ語が混じっていると言われても
「ですよね~・・・あはは!」と言う気持ちです。
ちなみに・・・
数字の数え方について昨日は極端な桁数の大小の単位に触れました。
それに対して日常の生活の範囲の数字ですが、これもかなり問題です。
現代と言い方がかなり違うんです。
ひとつ、ふたつの一桁の場合はほとんど問題はありません。
「みっつ」が「みつ」で「よっつ」が「よつ」という程度の違いです。
しかし二桁になると少し想像力が必要なんです。
10は「とを」と言います。これも問題ないと思います。
次からなんです・・・問題になるのは。
20は「はたち」です。今では「はたち」は年令限定で使いますが
昔はもっと広い範囲の数字でした。
しかも二桁と一桁を「あまり」という言葉でつなげます。
つまり、例えば21は「はたちあまりひとつ」となります。
これ実はフランス語の数え方と同じです。
フランス語で21は「20と1」と表します。
やはり古代日本は外国のようでした・・・。
30は「みそぢ」
40は「よそぢ」
50は「いそぢ」
60は「むそぢ」
70は「ななそぢ」
80は「やそぢ」
90は「ここのそぢ」
100は「もも」
となっています。
100は人の名前のようですこし可愛い感じもしますが
50はうがいぐすりと間違えそうです・・・あはは(*^_^*)
(それはイソジンです・・・はい、ご指摘感謝!)
ちなみに「みそぢ」や「やそぢ」のように最後が「じ」ではなくて
「ぢ」になっているのは発音がどう違うのかよくわかりません。
英語を最初にならったときに日本語にない母音の一つを
「あ」の口の形をして「え」と言いなさいみたいなことを
教えられました。同じ考えでいくと「ち」の口をして「ぢ」と
言うのと「し」の口をして「じ」と言うようなものでしょうか。
なんだかむかしのネスカフェのコマーシャルのはんたいで
「違いがわからない男」になってしまいました・・あはは!
続きはまたね・・・
(ボクにも・・・ピトトゥ・・・ください・・・)