人がつなぐ神の血筋 26 謎の磐船神社

みんな元気ですかドキドキ

スサノオ・二ギハヤヒの日本統一の謎・・・グッド!

スサノオと二ギハヤヒは日本の黎明期に颯爽と現れて

日本を初めて統一しました。

その時に彼らは必ずしも武力のみに頼ったわけではありません。

スサノオと二ギハヤヒは土地の人の必要とするものを与え

民自身が自ら造り出す事が出来る方法を教えたのです。

今で言う「持続可能な社会の基本的インフラ」の整備です。

具体的には穀物を安定的に収穫する事を灌漑用水を造る技術と

ともに教え、ある時は毎年洪水に苦しむ土地に治水の技術を教え、

また、山に多くの樹木を植えて山を緑で覆い、その結果鉄砲水や

洪水による犠牲者が出ないように手だてをし、結果として海を豊かに

して漁業の安定も教えたのです。この事を語る多くの伝説があります。

さらに病に苦しむ民を見たら薬草を使った治療方法も教えました。

ほとんどの土地の豪族や土着の民は喜んでスサノオと二ギハヤヒに

従っています。後々の時代になっても圧倒的な人気を誇っています。

藤原氏が創った古事記・日本書紀によって歴史が強制的に

塗り替えられるまでは・・・。

しかしさしもの権勢を誇った藤原氏もその圧倒的人気を持つスサノオと

二ギハヤヒのすべてを消し去る事は出来ませんでした。

スサノオと二ギハヤヒの恩義に報い、彼らを消し去ることに

真正面から抵抗する勢力も多くいたのです。

しかしよく考えてみると・・・

スサノオと二ギハヤヒがごく短期間で日本を統一した事は、

まぎれもない事実ではありますが、ある面不思議さが残るのです。

どうしてもそのスピード感とその手段に微妙な違和感があるのです。

土着の民や豪族が戦わずしてスサノオと二ギハヤヒの前にみずから

ひれ伏しているのです。彼らの日本統一の際に多くの犠牲者が出た

という話は一切ないのです・・・。

現代の戦いからは全くイメージが出来ないのです。

これは何を意味しているのでしょうか。通常、人間と人間の

主従関係が生まれるためには先祖からの繋がりや、命に

かかわる場面を救われた・・・等、何か特別なきっかけが必要です。

そのヒントが実は磐船神社 交野市(かたのし)にあります。

(参照ウィキペディア→磐船神社

磐船神社(いわふねじんじゃ)は主祭神が二ギハヤヒです。

ウィキペディアの紹介では起源が不明とされていますが、

おそらく二ギハヤヒ関係では一番古いほうの神社だと思うのです。

その証拠として、実は一つには二ギハヤヒのフルネームを

残す数少ない神社なのです。文中から引用します・・・

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「天照国照彦天火明奇玉神饒速日尊(あまてるくにてるひこあめの

ほあかりくしたまにぎはやひのみこと = 饒速日命)が天の磐船に乗って

河内国河上の哮ヶ峯(たけるがみね)に降臨されたとの伝承がある。」

とあります。

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長い名前ですがこれこそが二ギハヤヒの正式な名前なのです。

下はその磐船神社の写真です。

(クリック拡大)

イッピーの独り言

磐船神社の拝殿と後ろのご神体の「いわくら」です。

この巨岩は高さ横幅が各12メートルもある巨大ないわくらです。

以前もご紹介しましたが、古い神社ほど社殿はありませんでした。

いわくらがご神体として祀られています。この神社が相当古い時代に

創建されたと想像する2番目の理由です。

この神社は拝殿が写真のようにとても質素です。おそらく後の時代に

何もないよりは、と土地の人々によって造られた物だと思われます。

そして・・・

いわくらは巨石の古代遺跡です。

ピラミッドと同じ意味を持ちます。

しかも磐船神社の巨石は一つのいわくらだけではないのです。

巨石を組み立てた巨岩洞窟があります。

ストーンヘンジやマウンドと呼ばれる巨岩を組み立てた遺跡と

同じ物である可能性があるのです。

なぜ・・・

これが二ギハヤヒを主祭神とする古い神社なのでしょうか。

続きはまたね・・・グッド!

(クリック拡大)

イッピーの独り言

(磐船神社は巨岩の遺跡・・・)

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