みんな元気ですか
古代天皇家の歴史のこと・・・
二ギハヤヒがスサノオと一緒に中国九州四国を平定していたころ、
まだ今の大和の桜井市・・・大神神社に都を定める前は
大歳(おおとし)という名前で呼ばれていました。
前回ご紹介しました天皇家の祖神であるという意味を持つ
御祖皇大神(みおやすめのおおかみ)という神名が付いた
大歳御祖皇大神(おおとしみおやすめのおおかみ)という名を持つ
神を主祭神とする神社がいくつかあります。
静岡県七間町の別雷神社(わけいかずちじんじゃ)の社伝には
応神天皇4年の創建で古くは大歳御祖皇大神を祀り後に別雷神社
と改称したとあります。別雷神(わけいかずちのかみ)が
二ギハヤヒだという証拠でもあります。
そして・・・
久留米市大石町の伊勢天照御祖神社の主祭神は
天火明命(あめのほあかりのみこと)です。二ギハヤヒの
長い名前の一部です。つまり伊勢の天照皇大神の
御祖(みおや)の祭神が二ギハヤヒだと言っているのです。
さらに・・・
丹後一宮籠(この)神社のご祭神も彦火明命(ひこほあかりのみこと)
が主祭神であり相殿に天照大神・豊受大神がそれに従う形で
祀られています。つまり主座は二ギハヤヒなのです。
大歳そのものを名前とする神社、大歳神社は中国・九州・四国など
関西以西に多くありますが兵庫県までです。
大阪にはいるとほとんどなくなります。
大和にはいる前に大歳を二ギハヤヒと改名したからだと思えます。
その大歳は香川県琴平宮に宮殿を作りました。
愛媛県の大山祇神社にはスサノオが拠点を構えました。
スサノオは武勇の神としても崇められていました。
戦国の時代から明治大正いたるまでに多くの武具が奉納
されています。現在も自衛隊の幹部は大山祇神社を参拝します。
日本で最大の兜や甲冑等の数が奉納されています。
国宝や重要文化財の数では日本で最大数がおさめられています。
スサノオの武勇にあやかり戦勝を祈願したのです。
スサノオが西に、二ギハヤヒが東に拠点を置き瀬戸内海の
航路を見守りました。彼らは外国からの貿易を奨励し日本を
経済的にも豊かな国にしようと計画したのです。
前ふりが長くなりましたが・・・
彼らの拠点は今では神社になっていますが、当初は宮殿でした。
琴平宮の「宮」はそもそも神社を表す宮ではなく宮殿を表す「宮」でした。
それが後世「神社」になった理由とは・・・
日本の黎明期の古代にそこに居を構えた天上人がいたから
「神の社」(かみのやしろ)と呼ばれるようになりました。
これを「素直」に解釈すると・・・
そこに住んでいたのは人ではなく文字通り「神」だった可能性が
あるのです。記紀もその土地の言い伝えにならってそのことを
書いています。
「天孫降臨」とは史実を忠実に表現しているのではないでしょうか。
天上人とは・・・空から来た人達だった可能性があるのです。
日本人はその言葉に慣れてしまっています。
そのことを素直に理解することを止めてしまって
いるかもしれないのです。
日本の古史故伝には彼らが空から来た人たちであることを
示唆するものがあまりにも多いのです・・・
続きはまたね・・・
(天御降臨の図・・・)