みんな元気ですか
もう一つ日本が世界と違うところ・・・
日本が巨大な龍脈が流れる竜骨の上にたつ龍の国である理由の
一つは山に緑が多い事です。
外国と比べるわけでは決してありませんが、山々が頂上まで緑に
おおわれている国はそう多くはありません。
アメリカやヨーロッパでは山の頂上部まで行かなくても
岩肌が露出しています。
一方平地でも緑が多いと言うのはそれだけで龍脈が生きていることを
教えています。神社や鎮守の杜は必ずレイラインの上にあります。
その鎮守の杜には大きな木々があります。
緑はレイライン上で元気に育ちます。
話は少し横道にそれますが・・・
日本の緑は決して自然発生的に昔からそこに在ったわけではありません。
古代の先人の大いなる努力があったのです。
スサノオ・二ギハヤヒ達が日本全国のハゲ山を植樹して廻った事は
古い言い伝えで各地に残っています。彼らは何度も大陸から
木々の種苗を大量に運んできたと言われています。
島根県の今の斐伊川にいた土着の豪族遠呂地(おろち)族は当時
鉄の作るために「かんな流し」という砂鉄を取る手法を使っていました。
山に大量の水を上から流し重い鉄分が手元に残るという選別法です。
このため近隣の山々はことごとくはげ山になっていたと言います。
鳥取砂丘の大量の砂もこのカンナ流しで生じた人工の砂丘です。
どれほどの山が犠牲になっていたか想像できます。
スサノオは遠呂地族と戦いはげ山に植林をしました。
後に山はすべて緑に覆われたと言います。
その結果海も豊かに生きかえりました。
四国の愛媛県大三島と香川県琴平宮にそれぞれスサノオと二ギハヤヒが
拠点を作りました。瀬戸内海の制海権を守り外国との交易を
奨励するためです。当時は瀬戸内海を多くの外国船が往来していました。
大和の大神神社の都まで交易品を届ける海の重要なルートでした。
その四国の高い山々には今でも数多くのため池が残っています。
誰が作ったか不明とされています。
その中でも最大の人工のため池と言われる満濃池は弘法大師が
作ったとされていますが実は違います。記録を調べるとわかりますが
弘法大師は満濃池を修復したのです。それ以前から池は在ったのです。
奈良時代の弘法大師以前に四国を制覇し山々に多くのため池を作り
ハゲ山を緑にするという深慮遠望なビジョンを持っていた人物とは・・・
スサノオと二ギハヤヒしかいないのです。
四国は非常に謎の多い国と言われています。
奈良や京都より古い歴史を持っている事もなぞとされています。
いまだに香川県の三木家(みつぎけ)は最初に取れたコメを
天皇家に奉納しています。と言うより天皇家は三木家よりコメを
いただいているのです。いまでも三木家の田んぼは厳重に
警備されています。
大嘗祭での麁服(あらたえ)献上という儀式もいまだに三木家により
執り行われています。
四国には天皇家のルーツの秘密が隠されているのです。
四国の地名や川の名前は奈良や京都のものが多く見られます。
奈良や京都から名前を持ってきたと説明されることがあります。
本当にそうでしょうか・・・
四国の土地の名前が最初にあって、そののちに奈良や京都で
その同じ名前が付けられた可能性があるのです。
スサノオ・二ギハヤヒの一族は時代の背景が理由で歴史から
完全に消され厳重な封印が施されました。記紀により
創作された世界が表の歴史とされ今に伝わっています。
しかし・・・
天皇家はスサノオ・二ギハヤヒが祖皇(みおや)であることを
知っている可能性があるのです・・・。
続きはまたね・・・
(なにか・・・ヘンだぞ・・・ボク疑いの目)