みんな元気ですか
曲げられた史実と封印の嵐について・・・
これも以前書いたお話ですが・・・
歴史には光と影の部分があります。
特に戦いが多くあった時代は必ずと言っていいほどそれは
勝者の歴史になります。多くの史実が曲げられてしまいます。
西暦600年から700年代にかけては長い戦いの時代でした。
しかもその戦いにさらに深い闇が作られました。
神道vs.仏教という宗教的対立を伴っていたからです。
曽我氏も藤原氏も共に最大の努力を払ったのが物部氏と
そのゆかりの者に対する執拗なまでの掃討と封印でした。
人心が物部氏及びその祖先のスサノオ・二ギハヤヒに戻ることは
絶対に避けなければならないことでした。それがある限り自分たち
一族の立場が安泰とはならないからです。このためにさまざまな
不可解で不自然な事が起きています。
弓削道鏡の事件という有名なお話があります。時代は少し下りますが
一介の僧侶が女帝に近づき皇位を狙ったとされる事件です。
これも作られた陰謀説が伝えられています。弓削氏は実は
れっきとした物部一族の家系です。
道鏡は物部氏の復権を狙ったふしがあります。
それが事前に漏れて極悪非道の悪者と言う汚名を着せられたのが
事の真相だと思えます。それほどの悪事であれば極刑が普通です。
しかし彼には刑罰は与えられていません。不自然なのです。
(参照(ウィキペディア)→弓削道鏡
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%81%93%E9%8F%A1
)
人心を一新するために時代の勝者が取る行動はいつの世も同じです。
敗者ゆかりの一族を完膚なきまで滅ぼすことです。
そして戦いに宗教的色彩が加わるとそれはあの世にまで及びます。
死者が蘇り再び政権を取るまでもなく、人心に影響を与えると
考えられていたことと思います。
しかし死者を再度殺すことは出来ません。
そこで封印をする事になります。
この時代その封印はおびただしい数に上りました。
今でも多くの封印がそのまま残っていると思えます。
その封印に最大の実力を発揮したのが
聖徳太子と秦河勝だった可能性があるのです。
続きはまたね・・・
(ん・・・どしたん・・・何かあったん・・・)