みんな元気ですか
回文歌のこと・・・
もう一つの封印の技術である「回文歌」に触れてみます。
再度聖徳太子について触れたウィキペディアからです。
以下の記述があります。
QUOTE:
別名として豊聡耳(とよとみみ、とよさとみみ)、上宮王
(かみつみやおう)とも呼ばれ、顕真が記した『聖徳太子伝私記』の
中で引用されている慶雲3年(706年)頃に作られた
「法起寺塔露盤銘」には上宮太子聖徳皇、『古事記』
(和銅5年、712年)では上宮之厩戸豊聡耳命、『日本書紀』
(養老4年、720年)では厩戸皇子のほかに豊耳聡聖徳、
豊聡耳法大王、法主王、東宮聖徳と記されている。豊とは豊受、
卑弥呼の血統秦、外来を表し、聡は名前で、耳とは皇子を意味する。
遵って彼の名前は尊称を省くと「聡」が本名である。
UNQUOTE:
聖徳太子の別名の・・・本来であれば聖徳太子が彼の別名なのですが、
「豊聡耳」とは、言い伝えでは10人の人の話を同時に聞きわけたからその
名前が付いたと子供の頃に小学校で教えられた記憶があります。
以前のシリーズでは太子が外国人であり、数ヶ国語を話すことが
出来たのでこの名前の由来になったという可能性をご紹介しました。
さらに・・・
このウィキペディアの引用部分の最後から2行目をよく注意してみると
やはり聖徳太子は「外来」つまり外国人であることを強く示唆しています。
太子は外国の事情に通じていました。
外来の封印の術を日本独自の陰陽道に昇華させたと思われます。
次にご紹介する和歌は聖徳太子の作といわれ、縁起の良い
「初夢の宝船」として伝わる歌です。
長き夜の 遠の睡りの 皆目醒め 波乗り船の 音の良きかな
(ながきよの とおのねむりの みなめざめ なみのりふねの
おとのよきかな)
この歌は最初から詠んでも逆から詠んでも同じ音になる
「回文歌」です。「竹やぶやけた」と同じ構成です。
表向きの解釈は:
進みゆく船は心地よく波音を立てるので、過ぎ去る刻の
数を忘れてしまい、ふと「朝はいつ訪れるのだろう」と
思うほどの夜の長さを感じた。
もう一つの解釈もあります。
長い世の中の遠い戦いの記憶から皆よ目を覚ましなさい。
波に乗っている船にぶつかる音の状況はよいのだろうか。
以上はウィキペディアによる解釈です。
しかし良く読むと裏の意味が込められている気がします。
「長い闘いの原因はもうなくなった。目覚めがなんと心地よいことよ」
という意味にとれるのです。だとすると・・・
これは封印が完成した事を歌った歌とも取れます。
なぜならスサノオの別名は大海神の神(おおわだつみのかみ)です。
なぜ回文歌が封印を表すのでしょうか。
それは一度歌い始めると終わりと元がつながっているので
出口がありません。無間地獄の意味が込められています。
この回文歌は船出する時には荒ぶる海の神・龍神スサノオは
もういないから安心だよと言っているようです。そして無間地獄を
表すことによって荒ぶる海の神を封じ込めようとしています。
だとするとこれは封印を施した方の勢力が歌った歌名のです。
つまり聖徳太子は戦いに敗れた物部氏の領地財産を蘇我氏に
分け与えた事からも分かりますが明らかに封印をした方の勢力です。
それにこの回文歌に必要な特殊な技術・才能は作者がただ者では
ないことを物語っています。
表向きはめでたい歌です。祝い事があるたびに人はこの歌を
思い出しそして歌います。その歌がうたわれるたびに封印が
完成する仕掛けになっています。
さらには回文歌を作るための技術にどのような手段が必要なのか
定かではありませんが、なぜか高等数学が必要とされる、
あるいは通じるものがあるような気がします。
見た目は違いますが、
あの魔法陣と同じにおいがします。
続きはまたね・・・
(ん?右から何かがきて左へ・・・って、古いギャグはやめなさい)