1ドル札の奇妙な事実 8 フランク王国アーヘン大聖堂

みんな元気ですかドキドキ

ドイツ・アーヘン大聖堂の謎・・・グッド!

権勢を誇ったローマ帝国も西暦395年、神のシナリオか

あるいは時の流れには逆らえず東西に分裂します。

以降東西ローマ帝国は複雑な領土・宗教問題などに

翻弄されます。その西ローマ帝国を継承しようとして

フランク王国のカール大帝は自らを西ローマ皇帝であると

宣言します。ローマ帝国分裂から既に400年経った西暦800年の

事でした。この帝位を東ローマ帝国は認めませんでした。

カール大帝はフランク王国(フランク人の国)の皇帝として

知られていますがローマ帝国の皇帝になるという見果てぬ夢が

おおやけに実現することはありませんでした。

その後このフランク王国もいくつもに分裂します。

在位中に53回も軍事遠征をおこない軍事力で王国を維持・拡大しようと

しましたが戦争という手段では平和が決して実現されない

と言う事を証明しただけでした。

(参照ウィキペディア→カール大帝

さて・・・

そのカール大帝は現在のドイツ領フランス寄りの西に西暦786年

アーヘン大聖堂と呼ばれる宮殿大聖堂を自らのために建造しました。

(参照ウィキペディア→アーヘン大聖堂

1978年に最初の世界遺産の一つとして登録されています。

本題です。

このアーヘン大聖堂には黄金のプロビデンスの目が燦然と輝いています。

アーヘン大聖堂のプロビデンスの目

上の写真はウィキペディアよりお借りしていますが

よく見るとその下にギリシャ数字でMDCCLXVIと書かれています。

1766を表します。「プロビデンスの目」の下に年号とくれば

どこかで見たことがあるような気がします。

もしこの数字が年号であるとすればカール大帝がこれを

大聖堂の建造時点で作ったとは思えません。

では、だれがいつ何の目的でこれを大聖堂に貼り付けたのでしょうか。

この謎ときをしてこのシリーズを終わりたいと思います。

続きはまたね・・・グッド!

(その目を見つめるボクの目・・・あは目

ペタしてね

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