みんな元気ですか
言い伝えを素直に受け取ると新たな事が・・・
日本の古代史を別の角度から探ろうと思い立ちました。
短めのシリーズです。
スサノオの行動や彼の周辺には不思議がつまっています。
彼は突然出雲に出現します。
古史社伝には彼の出自を記録したものがほとんどありません。
古事記・日本書紀は初めから創作の色合いが濃く歴史の真実を
探るための史料としては信ぴょう性に欠けます。
その記紀を作った藤原氏が古史社伝の多くを勅令(天皇の命令として)
を出して日本全国から集め焚書(燃やす事)した事もスサノオの出自の
記録がほとんど残っていない事の原因ではあります。
藤原氏にはスサノオとその息子二ギハヤヒの足跡をことごとく
消してしまう必要がありました。
ニギハヤヒの直系の氏族であった物部氏と相対する蘇我氏の戦い。
その蘇我氏を倒した藤原氏の戦いの二つの戦いを経て藤原氏は
中央では完全に独裁体制を確立しました。それでも物部氏の
直系の氏族であった弓削道鏡のような人物が出てきます。
弓削道鏡は謀反の大罪を犯した事になってはいますが死罪に
なっていません。不可解です。弓削氏は物部の再興を計ったために
藤原氏の作ったストーリーで極悪人にされてしまいます。
しかしスサノオといくらかでも血のつながりがある当時の天皇家の
庇護により命は助かります。いくら藤原氏と言えども立場は
天皇家のほうが上です。天皇家は弓削氏の意図を
よく知っていたのです。
藤原氏はこのような事態の芽をことごとく摘む事によって
氏族の安泰を計りました。藤原氏以外の氏族の徹底的な
弾圧を計りました。藤原氏でなければ人ではないという言葉まで
生まれました。しかし地方では依然としてスサノオ・二ギハヤヒの
人気は衰えてはいませんでした。多くの神社がスサノオ・
二ギハヤヒの二人の名前をそれとなく隠し、たてまつりました。
いかずちのかみ・わけいかずちのかみはスサノオ・二ギハヤヒの
別名です。たかおかみのかみ・くらおかみのかみの二つの名前も
同様です。ほかにも彼ら親子を隠すための多くの名前が存在します。
おおわだつみのかみ、おおやまずみのかみはスサノオの別名です。
そのような名前が藤原氏の時代を境にして突然使われ始めます。
それほどまでにスサノオ・二ギハヤヒは天皇家はもとより日本全国で
尊敬され愛されていたのです。
さて・・・
ここまででの疑問その1です!
これほどまでに権勢を誇った藤原氏です。その藤原氏も物部氏の
血をひく弓削道鏡ほどの目障りな人物を死罪にできませんでした。
天皇家は絶対だったのです。藤原氏の勢いと武力を持ってすれば
天皇家に戦いを挑み自分達の氏族が天皇家にとって代わることは
可能だったはずです。藤原氏はそれをしませんでした。
というよりも出来ませんでした。おそらく心の中ではそのことを密かに
思ったこともあったはずです。しかし彼らにはそのことを検討した
様子もありません。つまりそのことを考えることもできないほど天皇家の
存在は絶対だったのです。天皇家はそれほどの武力を持っていた
わけではありません。おそらく武力では藤原氏の方がはるかに
優勢だったと思われます。これは戦国の世、あるいは絶対的な
統治者だった徳川家の時代を経てなお現代に至るまで続きます。
なぜでしょうか。
なぜ天皇家の存在は絶対なのでしょうか。
戦前はこれを語ることも出来ないタブーでした。
不敬罪という法律がありました。
なぜ侵すべからざる存在なのでしょうか。
これを解釈する意見がいくつかあります。
例えば万世一系論です。
一つの血筋がずっとつながっていることを言っています。
しかしそのような意見のどれも説得力に欠けます。
藤原氏は記紀を作ることにより天皇家に権威を持たせたために
自縄自縛になったのでしょうか。
天皇家が絶対であることにはもっと大きな理由が
ありそうな気がするのです・・・
続きはまたね・・・
(世界が平和でありますように・・・)