大地との会話 11 東へ東へと

みんな元気ですかドキドキ

東に何が・・・グッド!

アメリカ先住民族には日本語が起源と思われる言葉がいくつもあります。

共通の言葉を調べて博士号を取得したハワイの女性がいます。

部族によりますが以下のような共通の言葉の例があるそうです。

親籍の事を「おじおば」と言います。靴の事は「ワラジ」。スピリチュアルな

部族のホピ族は「保霊」と書けば発音も意味も同じです。

アナサジ族という部族がいます。山や崖の中腹に穴を掘って暮らし

戦いを避けて平和を好む部族です。海幸は漁労民族。山幸は狩猟民族と

すると穴幸は穴居民族となり同じ意味です。ミシガン州は雁の通り道。

カナダの大河ユーコン川は雄渾なる川の流れ、等々。

少し前の話ですが、現地の人と仲良くなった日本人が共通の単語が

多いので驚いたそうです。日本人名には意味があることが多くあります。

自分の名前の意味を説明する前に理解していた事に驚いたと言います。

「青木」さんの名字が青い樹木を意味する事を彼らは知っていたんです。

ホピ族と長い交流を持った青木やよいさんの「ホピ 精霊たちの台地」

という本にそのことが書いてあった記憶があります。

さて・・・

話を戻します。

兵馬傭の4つの謎をもう一度確認します。

1)兵士の傭にはどれひとつとして同じ顔をしているものがなかった。

2)秦の軍隊が様々な民族の混成部隊であった。

3)全ての兵士が秦の敵国が存在した東を向いている。

4)陪葬墓の人骨のDNAがペルシャ人のDNAだった。

この1)、2)、4)の謎については既に答えらしきものが分かりました。

問題はこの3)です。実はこれが最大の謎だと思います。

上は始皇帝が統治した秦王朝の地図です。

秦王朝の東には海が広がっています。東シナ海及びその先は

太平洋です。つまり兵士がみな同じ方向を向いている東には

敵はいないんです。たしかに秦の初期の時代には下の写真のように

「魏」や「楚」の国のような敵がいました。この中国戦国時代の地図を

見ても確かに秦が西の方から勢力を伸ばしてきたことが分かります。

しかし・・・

兵馬傭が出来たのは明らかに秦王朝の最後に近い時期です。

つまり上の方の写真の時代です。

なぜなら始皇帝の陵墓を中心にこの地下帝国は築かれています。

つまり8000の兵士達はウィキペディア(兵馬傭
)にあるように

敵国に向かって睨みを聞かせているのではないのです。

行軍の方向が東を向いているのです。東に進んでいるのです。

海に向かって進んでいます。

実はこの謎を解くカギは始皇帝がこだわった陵墓や、

山東省膠南市の琅邪台(ろうやだい)に作られたピラミッドに

あるのかもしれません。

そして北米先住民族の日本語ともしかしたらつながる

可能性もあるんです。

続きはまたね・・・グッド!

(ファルコンになって様子を見に行くボク・・・グッド!

ペタしてね

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です