みんな元気ですか
奇跡の水でも治癒してもらえないことは不幸なの・・・?
昨日のアミの言葉の続きです。
「きみたちが、そういったもろもろの執着から自由になって、
別の状態へ、別の幸福へととおりぬけるためのたったひとつの道は、
いま、その身にまとっている”服—つまり肉体のことだね—”を
脱ぎ捨てることだ。肉体がほろび、死をむかえたときにようやく、
きみたちは執着からのがれて、あらたな状態に入ることが出来るんだ。
でも、そのかわりにきみたちは、かつての人生でのことをなにひとつ—
どんな愛着のあるものでも—おぼえてはいない。ほんとうは、一人
ひとりの心の奥の奥に、記憶はひっそりとねむっているだけど・・・」
アミは以上の事をいっきに話しています。
さらにビンカの自分たちの死はそのためにあるのかしら、
という質問にアミはこう答えています。
「そう、ざんねんながら、いまのきみたちがあらたな状態にうつるためには、
”死”をりようするほかに道はないんだ」・・・と。
さらにアミは進化した魂たちがどのように彼らの死を迎えるのかを
説明します。
「進んだ魂たちは、もはや、”死”を通過しなくても、自分の意志だけで
かんたんに、宇宙が用意してくれた新しい状態の中へとびこんで
行けるんだよ。しかも前の人生のことを忘れたりしないでね。
ぼくの中にも、自分が半分ゴリラだったころから今にいたるまで、
記憶は全部のこっているよ」
引用は以上ですが・・・
最後の部分の進化した魂たちが自分の意志で新しい状態になることが
出来ると言う部分は注目に値します。
なぜならそこにはもはや「死」と言うものがないと言っているのです。
進化した魂には「死」は必要がないようなのです。
この死が無い状態というのは昨日ご紹介した「ヒマラヤ聖者の生活探求」
にも出てきます。つまりこの「ヒマラヤ聖者」に書かれていることは
実際にかなりの真実を含んでいる可能性があると言う事になります。
つまりババジやサナンダと言った聖人は彼らの意志で地球を離れない
限りいまだに地球に存在している可能性があるのです。
数千年の時を経た今も・・・
さらにはアミのような進化した異星人もババジやサナンダのような
存在もある意味全く違いがないことも示唆しています。
また、アミのことば・・・自分が半分ゴリラだった頃の記憶・・・が残って
いると言っている部分も注目です。
自分の過去を全て物語の中の主人公として覚えている
ことになります。自分と言う最高の主役を迎えて物語が
進行するのです。終わりのないスリルと感動に満ちたドラマが。
しかも次のステージのための伏線やどんでん返しが一杯です。
その全部が今につながっています・・・。
このアミの言葉には非常に多くのヒントや示唆が含まれています。
死に関しての意味だけでなく、生きる事の意味も。
同時に魂が進化するとはどういう事なのかという事までも
教えてくれているような気がします。
アミの本は3部作です・・・いまのところ。
この3番目の本のタイトルはきのうもご紹介しましたが
「アミ3度目の約束」です。
サブタイトルが「愛はすべてをこえて」となっています。
別のシリーズで繰り返しお伝えしていますが、
地球を訪れる異星人にはいわゆる悪い異星人は
いないのではないか・・・と思う理由でもあります。
宇宙の進化は「愛」が基本であり絶対のルールです。
それ以外を許容することはあり得ないのかもしれません。
なぜなら全てが作用反作用の法則で自分に還って来るからです。
奇跡の水で治らない事の意味ももう
知る必要すらないのかもしれません・・・
続きはまたね・・・
(マコ、あまえてばかりでごめんね・・・だれか知ってる人いるかなぁ・・・クゥ~)