オリハルコン 2 兵馬俑の青銅の剣

みんな元気ですかドキドキ

オーパーツ・・・グッド!

昨日のピリ・レイスの地図の補足です。

ウィキペディアによればピーリ―・レイ―スと発音するようですが

この地図は1400年代に造られたのではなく、1513年に作成された

とあります。

(参照ウィキペディアウ→ピリ・レイ―スの地図

なぜ作成年が分かるかの言うとこの地図に付されていた

説明文に書いてあったからだそうです。

この南極大陸には疑問があるという説があります。

しかしそのことよりもこの地図は紀元前のギリシャ時代の地図や

ほかの地図をもとに作成されたとあります。

1513年と言えばコロンブスやアメリゴ・ベスプッチがアメリカを発見した

直後にこの地図が出来ていた事になります。

ピリ・レイ―スは自分でこの地図を作製したのではなく

古代に作られたものをもとにこの地図を書いたと言っています。

つまり1514年以前のはるか古代にこの地図のもとになる詳細な

地図があったと言う事が重要な意味を持ちます。

一体誰が古代にこの地図を作る技術を持っていたのかという

とけない疑問が沸き起こるのです。

話を戻します・・・

昨日は日本刀のお話しをしました。

剣と言えば世界でも不思議な剣が実は中国で最近発見されました。

秦の始皇帝の兵馬俑から青銅の剣が出てきました。

兵馬俑の兵士の手は全て何かを持っているような手の形をしていますが

実際に武器を持っている兵士の姿はほとんどありません。

しかしその中でも位の高い兵士は剣を持っていました。

青銅で出来た剣でした。

ちなみに日本で作られる刀は鋼鉄です。

強さでは鋼鉄に勝るものはありません。

歴史的にも青銅の剣は少数派です。

しかしこの始皇帝の兵馬俑の剣は特別でした。

数年前に日本で兵馬俑展が行われ青銅の剣も展示されました。

その時の注意書きがこの剣を手に取る時には必ず手袋をすること

と書いてあったそうです。つまり2200年の時を経た今でもこの剣は

剃刀のように剣の刃を持つ手を切ったそうです。実験によると

何十枚も重ねた紙を一刀両断した切れ味を持っていました。

大きな謎とされています。

(クリック拡大)

(兵馬俑出土の剣)

実はこの剣はクロームメッキが施してあり鈍い銀色の光を放って

います。このために腐食をまぬがれ2200年の時を経て今でも当時の

ままの姿を残していたのです。

このクロームメッキの技術も大きな謎のようです。

(クロームメッキされた青銅剣)

メッキをするには普通電気を使います。

当時は電気を使わずにめっきをほどこしたと思われますが、

どのような方法でこれが行われたのか謎です。

さらに・・・

この剣は形状記憶合金だと言われています。

発掘された時に大きな甕の下敷きになっていた一ふりの剣が

まがって出て来たそうです。

ところが重い甕を取り除くと下から出て来たこの剣が

ピーンと真っすぐに伸びたそうです。

兵馬俑の史料展示場の学芸員がこれを証言している

YouTube画像があります。

https://www.youtube.com/watch?v=WqESY9sMInU

本当かどうか分かりませんが・・・。何しろ中国ですので。

秦の次の漢の時代には既にこの技術はありませんでした。

始皇帝はこのメッキの技術を徹底的に秘密にしました。

ちなみに漢の時代の青銅の剣は腐蝕が進みどれもボロボロです。

中国は民族が変れば文化も一切受け継がれる事はなく

同じ歴史が続いている国ではありません。

全く別の国が歴史を創ります。

中国4000年の歴史とはどこから出て来たのかこれも謎です・・・。

続きはまたね・・・グッド!

(ホントのことを言いなさい・・・目

ペタしてね