陰陽師の謎 31 信田の森の白狐

みんな元気ですかドキドキ

昨日の続き・・・グッド!

入り組んだ古代の歴史の流れはほとんど歴史の教科書に

出てきません。それどころか古事記・日本書紀と言う勝者の歴史

に塗り替えられた史書が元になって広く信じられているので

登場人物の人間像の解明に時間がかかりました。

このためなかなか陰陽師にたどり着けずにいましたが、

長かったこの時間旅行もそろそろ終点です。

安倍晴明の実像に迫ります。

ウィキペディアによれば晴明は西暦900年代の後半に存在していた

と伝えられています。聖徳太子より300年くらい後の人物です。

スサノオ・二ギハヤヒ及びその一族に対する封印はこのころには

一応の完成を見ていました。時はまだ藤原氏の全盛時代です。

封印を緩めるわけにはいきません。そこで陰陽師の活躍は

まだまだ必要とされていました。その中心にいたのが安倍晴明でした。

そして・・

聖徳太子同様、晴明もその系譜や生没に関する情報が曖昧なのです。

聖徳太子と同じ匂いがします。

曰く晴明は何年経っても若いまま年を取らなかった。

曰く晴明は今で言うイケ面だった、等々。

晴明の神秘的な側面がかなり強調されているように見えます。

しかし・・・

もしこれがある事実を表しているとしたら意外な可能性があります。

前出の聖徳太子が10人の話を同時に聞きわけた・・・という伝承は

実は太子が数ヶ国語を話すことが出来たマルチリンガルだったと

いう想像とどことなく似ているのですが・・・

晴明が聖徳太子と同じ匂いがする理由がいくつかあります。

まず・・・

陰陽道は当時の必要最低条件として数学や天文学に通じている

必要がある事は前に述べました。そしてこれらの技術は当時は

海外から伝わった物です。これらの術を究めるためにはどうしても

外国語に精通している必要があったと思えます。

当時の中国語だけでは足りなかったのです。

次に、晴明の母親は「信田(しのだ)の森の白狐」という言い伝えが

あります。これは何を意味するのでしょうか・・・

すぐに思い浮かぶのは母親が白人系の外国人だったと言う可能性です。

その可能性はあるのでしょうか。

実は信田の森と言うのは、あの二ギハヤヒが交易のために水路を

ひらいた大和川が海に注ぐ地点に位置しています。つまり外国との

交易に一番近い場所にあります。長い船旅を終えやっと大和の地に

上陸する場所でした。おそらく当時は信田の森あたりには外国人も

多く居留していたのではないでしょうか。外洋を行き来する大型船が

このあたりで積み荷をおろし、さらに小さな船に積み荷を移し替えて

大和川をさかのぼる・・・そんな光景が目に浮かびます。

今の時代からは想像出来ないほど当時は外国との交流があったのです。

もしそうであれば・・・つまり晴明の母親が白人系の外国人であれば

晴明が外国語に堪能であった可能性は十分にあるのです。

それに晴明が年を取らなかったという伝承はここに理由が

あるのかも知れません。

あるいは、外国人に見えた晴明の年齢がわかりにくかった

ということかもしれません。

もうひとつ・・・ウィキペディアによりますと晴明が皇太子師貞親王

(後の花山天皇)の命を受けて那智山の天狗を封じたとあります。

この天狗とは、習慣の違いから厭われていた外国人たちという

可能性もあるような気がします。

同じ言葉を話す晴明であればその外国人集団を理解し

渡り合う事もそれほど困難ではなかったかもしれません。

そしてさらに・・・

晴明神社のシンボルは五芒星です。

日本に古来から伝わる図形ではないのです。

その理由もわかるような気がするのです・・・

最終章につづきます・・・グッド!

イッピーの独り言

(んも~ちがうよ・・・おいら白狐じゃないってば汗

ペタしてね

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