陰陽師の謎 12 スサノオと八岐大蛇(やまたのおろち)

みんな元気ですかドキドキ

前回のつづき・・・グッド!

再び先を急ぎます・・・。

日本の最初の覇王スサノオは1世紀の終わりから2世紀の初めに

かけて颯爽と日本の黎明期に登場します。徐福が日本各地を

周って収集した情報を余すところなく活用します。

ちなみに徐福が日本に来たのは中国の史書によりますと

それをさかのぼること2~300年ということになります。

緑を増やすことを先人と同じく常に忘れませんでした。

スサノオは実在の人物です・・・

記紀神話の中では架空の人物にされています。

しかも手のつけられない暴れん坊キャラにされて。

藤原氏の時代に焚書を逃れた地方の神社の社史・社伝には

スサノオを実在の人物として記録したものが多く残されています。

記紀神話ではスサノオはヤマタノオロチという大蛇を征伐し

そのしっぽからでて来たのが天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)

後の草薙の剣(くさなぎのつるぎ)と言う事になっています。

後のと言うのはそれが後世ヤマトタケルノミコトの手に渡ってから

名前を変えたからです。この二つは同じ一つの剣の名前です。

天叢雲とは霊力のあるその剣の上空には常に不思議な叢雲が

かかっていた所から来たと言われています。

話が少しそれますが・・・

このようなお話には実は見たことをそのままが書かれていることが

少なくありません。不思議な叢雲は本当にあったのかもしれません。

まるでモーゼが紅海を渡る時に上空に一緒にいた不思議な

存在を彷彿とします。

神話の世界では大蛇(おろち)を倒したと言う事になっていますが

この話しを聞いた時にすぐに思い浮かべたのは昔からそこに

居た鉄の原料を支配する一族を倒した事がこの神話のもとに

なっているのではないかと言う事・・・そしてその砂鉄あるいは

鉄鉱石をもとに徐福の技能集団から受け継いだ製鉄技術を

もって当時の最先端の技術で今まで誰も見たことがないような

剣を作ったのではないかと言う事でした。

もしそうであるならばこの「誰も見た事がないような新しい武器」が

持つ力がスサノオに与えた「力」は新たなステージに飛躍する決意を

もたらしたことはとても自然な事のような気がするのです。

スターウォーズの聖戦士ジェダイのライトセイバーを思い出します。

その昔おろち退治が行われた「肥の河」(ひのかわ)は出雲最大の

河であり、今は斐伊川と呼ばれています。

当時の島根県出雲の事を少し調べてみました。

この奥出雲地方は遠い昔から出雲民族が鉄工を伝えた所でした。

なんと今でも小規模ですが特殊鋼の生産が行われているそうです。

この地方の製鉄は「我が国最古の歴史と伝統を誇る」と

伝えられています。聞き流すとうっかり通り過ぎてしまいそうですが

その意味を考えると何と2000年近い伝統を持つことになるのです。

世界に類を見ない歴史を持つ技術・工芸の伝統かもしれません。

もしかするとスサノオのこの鉄とは以前ご紹介したやまとレムリアに

伝えられたさびない鉄、ヒヒイロカネの技術のような気もします。

当時の土地の豪族であるオロチ一族はこうした奥出雲地方の

鉄資源を一手に掌握していたようです。

奥出雲にある伊賀多気(いがたき)神社の由緒書きには

「山々がオロチ族の鉄穴(かんな)流し・・・砂鉄をとるために山を水で

流すこと・・・のためにハゲ山になってしまった。

それをスサノオたちは外国から持ち帰った木の種をまき、

ハゲ山を緑に変え洪水の被害から救うべく働いた」と言うようなことが

書いてあるそうです。

オロチ(遠呂智)は土地の豪族の名前だったのです。

語感からするとアイヌの一族のように思えます。

当時アイヌはこのあたりまで勢力を持っていました。

このあたりの方言が東北地方と共通することも知られています。

さらに・・・アイヌ語の地名は四国にも多く残されています。

高知県にはアケノ、アナナイなどの地名がありこれがアイヌの

言葉であるという古い神社の古史・古伝が残っています。

当時の斐伊川下流ではオロチ一族の横暴により大きな鉱害に

苦しめられていたのをスサノオ達がこれを救った・・・しかも

ハゲ山を修復する植林までしていたのです。

ちなみに出雲からそれほど遠くない鳥取の砂丘はこの

鉄穴流しによる砂鉄を採集した後の砂が積み上げられたものです。

鳥取砂丘は自然の砂漠の砂が堆積する環境ではありません。

想像ですが・・・おそらく下流の漁民までもがスサノオたちに限りない

尊敬の念を抱きその人物の魅力にひかれたのではないでしょうか。

なぜなら山がよみがえれば海も甦ることは今なら理屈で分かります。

徐福の技能集団はおそらく植林で海が復活する事も

知っていたのではないでしょうか。

木の種苗は秦の国を出た時に持って来たものでしょうか。

「外国から持ってきた」と記録にあります。

同時に彼らが持っていた技術能力の高さ、

そして灌漑治水など大自然の営みを理解する

その能力の高さには戦慄をおぼえます。

この事がスサノオの一族に日本を統一する為の新しい武器と

住民を味方につけると言う何物にも代えられない勇気と

それを裏打ちする財力をもたらしたのだと想像します。

何よりも国を統治するために必要な情報と政治力はすでに

手の内にありました。徐福の技能集団がついていたのですから。

まさに・・・

徐福の描いた夢と計画はスサノオによって

実現に向けて大きく一歩動き始めました。

秦の始皇帝も徐福ももうすでにいません。

しかしここからは新たな歴史の始まりです。

神話の世界ではなくリアルな日本の夜明け・黎明期です・・・

スサノオは出雲を起点にして日本統一に乗り出しました。

出雲が古代史の中で特別な意味を持ち特別な崇敬を

集めているのはここに理由があるのだと思えます。

しかし歴史の悲哀でしょうか。

スサノオは大国主命の出雲大社とは何の関係もないのです。

出雲大社は後の時代に藤原氏が建てた巨大な神社でした。

偉大なスサノオへの崇敬をすり替える必要があったのです・・・

続きはまたね・・・グッド!

イッピーの独り言

(なるへそ・・・日本統一・・・やるな~・・・須佐ちゃんビックリマーク

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