みんな元気ですか
竜神と蛇・・・
どうやら竜神は本当にいるようです。
めったに姿を人前に表しません。
しかし彼らは池や沼や沢にもいます。
時には人里の民家の家の井戸にも。
何かのきっかけがあればその姿を見せる
事も時にはあるようです。
引用を続けます・・・
(金色の竜)
知り合いのはなし。
彼が家を建て直す事になった時。
井戸を一つ埋めることになったのだが、
それに先立って水神様を鎮める祭事を行ったのだという。
米や旬の作物が急ごしらえの棚に献上された。
神主が祝詞を唱えていると、いきなり井戸の水面が波打った。
そして金色に光るちいさな竜が井戸から姿を現したのだという。
竜は彼の家族の周りをくるくると回り、別の井戸へ姿を消したのだそうだ。
不思議なことに竜が彼の家族に触れた箇所には金粉が付着していた。
竜の姿が見えたのは彼と祖母だけで、彼の家族は急に体に金粉が
ついたと言って驚いていたという。
それ以来彼の家族は水を使う際感謝するようになったのだそうだ。
・・・
つい最近の昭和の中頃の時代までは以下のような話は田舎では
よく聞いたものでした。
(蛇の子)
「山で昼寝をしていて若い女が蛇の子をはらまされたなんてことは
昔はよくあったものだ。」
これは嘘でも脅しでもなく、現実にあることらしい。
俺が20の頃、40歳くらいの知人のおばさん(秋田生まれ)が
話してくれたんだが、新聞沙汰にもなったと言っていた。
おばさんの友達の女性が、春に山菜を取りに近くの山に入った。
沢に沿って上流に、いつになく沢山の山菜がとれるので、
ついつい山深く分け入った。
ふと気が付くと見知らぬところ。
帰ろうとして何気なく見ると前方の崖の上に男の人がいる。
「あれ、だれかな?}
よく見ようと目をこらした瞬間ふら~と意識が遠のいた。
これから先はおばさんも照れくさそうではなしが簡略に
なってしまうのだが、逃げようとしても逃げられず、もたもたしている
うちに男がそばにやって来て、蛇に変わり、友達の中に入って来た。
蛇男がするすると去って行って、初めて体が自由になり家へ戻った。
こんなばかげたはなしは親にも言えずにいるうちに、お腹が
大きくなってきた。しかたがなく病院に駆け込んだが、レントゲン
(当時はこんなもの)を見た医者が「変なものが写っている」と
手術を勧める。
開腹してびっくり、蛇の子が沢山出てきた。
その時点で新聞に載り、おばさんもそれを見た。
同窓会の折詳しく聞いてきたと言う。
「きれいで優しくって、内気な人なんだよ。それ以来飼ってる
ウサギにも化かされてしまうって」と言った言葉が印象的だった。
昭和4,50年代のことだ。
・・・
当時は人々が今より素直で謙虚だったような気がします。
そのためにこのお話が本人の口からは、かなり控えめに
伝えられているような気もします。
ウサギにも化かされてしまうというのはもしかすると
ウサギと会話が出来るようになったという事かもしれないと
思うのです。いまでこそアニマル・コミュニケーションといって
特別に不思議なことではありません。当時はそんなことを
言えばそれこそ馬鹿にされるか変わり者扱いをされて村はじき
にされることもあったのかもしれません。これが精いっぱいの
表現だったとも取れるのです。
とすると・・・
蛇の男性ももしかするとあの眼を持った異星人とも取れます。
姿を見ると意識が遠のいたという事もそれを裏付けます。
生殖遺伝子の構造上、蛇と人間とは受精は不可能です。
とすると考えられる事はやはりその線かもしれません。
新聞にも載ったと言う事は子供が出来たことは事実だった
可能性があるのです。人里離れた山で見知らぬもののけに
子供をはらまされたという話は日本だけではありません。
古代からよくある話です。
はなしの伝えられ方や状況は違いますが「竹取物語」や「もも太郎」
それに「一寸法師」などもどうも裏がありそうな気がするのです。
日本の御伽草子にはやまと言葉の奥ゆかしさに包まれた背後に
深い意味がありそうな気がします。
はなしがすこしずれてきましたが、もしかすると
竜神にも2種類いるのかもしれません。
本来の大地・大自然のエネルギーや「気」が生み出すものと
そうではない地球外のものと・・・
続きはまたね・・・
(おまいさん・・・見てしまったのかい・・・あは)