陰陽師の謎 6 晴明の出自

みんな元気ですかドキドキ

聖徳太子とのつながり・・・グッド!

晴明の特異な才能がどこから来たのか

ある意味これは最大の疑問です。

それは当時の時代背景と大いに関係しています。

実は彼の家系にそのヒントがあります。

記録に出てくる晴明の最初の祖先は安倍倉橋麻呂といいます。

大化の改新のころに登場します。

中大兄皇子とともに蘇我氏打倒の戦いに参加しています。

当時の歴史に少し触れますが陰陽寮を最初に作ったのは

天武天皇(大海人皇子=おおあまとおうじ)でした。

日本書紀には天武天皇は「天文・遁甲を能くしたまふ」とあります。

兄の天智天皇(中大兄皇子=なかのおおえのおうじ)没後

その嫡子(直接の繋がりを持つ子供)の大友皇子と皇位を争った

壬申の乱(じんしんのらん)は歴史の教科書にも出てくるので

よく知られています。その天武天皇は壬申の乱の勝利を自分の

式占(うらないの一種)で確信していたといいます。

天武天皇は占いや天文道に深い理解と知識があったのです。

しかし・・・

その天武天皇の式占に大きな影響を与えしかも陰陽寮の設立にも

深くかかわったと思える影の人物が居るのです。

この時代の最大の謎の人物・・・

生きていた時には正式な名前さえなかった

あるいは消された

そして没後100年経ってやっとその名前が付けられた

それがあの聖徳太子と呼ばれる人物です。

聖徳太子は蘇我氏が討伐された後、蘇我氏一族の莫大な

所領財産の勝者への分配に深くかかわっています。

しかも陣頭指揮を執ったと言われています。

安倍倉橋麻呂は中大兄皇子とともに蘇我氏打倒の戦いに

参加しています。

安倍清明の祖先は聖徳太子とかなり強い接点があるのです。

この聖徳太子の存在が実は安倍晴明の謎に

深くかかわっているのです

続きはまたね・・・グッド!

イッピーの独り言

(謎が謎をよぶ~・・・林檎殺人事件だぁ~・・・すこし古っあせる

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