陰陽師の謎 18 スサノオ・ニギハヤヒが多くの別名を持つ理由

みんな元気ですかドキドキ

前回の続き・・・グッド!

物部氏は二ギハヤヒの子孫です。

その物部氏の没落と共に二ギハヤヒの痕跡は藤原氏によって

すべて消されてしまいました。だから後世藤原氏によって

編纂された古事記・日本書紀には登場しません。

物部氏と蘇我氏は宿命の勢力争いの対決をしました。

古来の神道と新しく伝わった仏教擁護派の争いを盾にしました。

その蘇我氏も藤原氏との争いに敗れます。

その結果勝者の歴史にすべてが塗り替えられたました。

それが記紀・・・古事記(710年)・日本書紀(721年)です。

もう一度スサノオの事を振り返ってみたいと思います。

牛頭天王と言えば前回も述べたように京都祇園の八坂神社が

有名ですが、全国に3千ある天王社の総本山は愛知県

津島市にある津島(つしま)神社です。

実在が否定されているにも関わらず今でもスサノオを祭る

神社の数やその痕跡の残る地名は消された割に異常に多いのです。

天王がつく地名はスサノオに由来します。

例えば東京の天王洲等です。単なる神話の世界の神が

これほど多くの尊敬を集めるとは思えません。

彼は明らかに実在していたのです。

ちなみに八坂神社は平安初期姫路の広峰(ひろみね)神社から

勧請されたものです。その事は京都市左京区の梛(なぎ)神社にも

記録が残されています。その梛神社は別名「元祇園社」と言います。

津島神社には歴史の流れから言うとおかしなことがあります。

810年(弘仁元年)嵯峨天皇は津島神社に対しスサノオの尊は

皇国の大本の天皇であり、津島神社は日本総社つまり日本で

一番権威のある神社であると言っています。

よく考えるとこれはただごとではないのです。

なぜならそれより100年前に作られた記紀によれば大本の天皇は

もちろんご存じ「アマテラス」であり日本総社は「伊勢神宮」

でなければならないのですから・・・。

スサノオはこの頃の歴代天皇にとってもいかに

特別な存在だったかが分かります。

この事から想像するのですが当時でも記紀は軽視されていて

少なくともまともに評価されてはいなかったのではないでしょうか。

もう一人古代の崇敬を集めた神様に「オオヤマツミ」

という神様がいます。

この神様を祭る神社は全国に1万1千社あると言われています。

これはスサノオの別名です。

その総本社は愛媛県の国立公園芸予海峡の海に浮かぶ大三島に

ある大山祇(おおやまずみ)神社です。

全国にこれだけの神社がスサノオを祭っているのです。

そしてスサノオは歴代の天皇や源義経や織田信長など戦国の武将

から特別の尊崇を受けていました。

大山祇神社には歴代多くの武将が甲冑や剣を奉納しました。

日本で最大数のこれらの国宝級の武具が納められています。

いまでも歴代の自衛隊幹部は参拝します。

その理由はただ一つ

スサノオが日本を初めて統一した実在の天皇だったから

と思うのが自然なのです。

スサノオは日本の統一を果たす為日本の夜明けを切り開きました。

そしてスサノオと共に闘い大きな活躍をし絶大な尊崇を受け

日本の夜明けを完成させた偉大な王がもう一人います。

その名前を記紀から完全に消されている

天照国照彦天火明櫛玉饒速日尊

二ギハヤヒでした・・・

藤原氏はスサノオ・二ギハヤヒにゆかりのある神社の名前を天皇の

勅令により改名させました。各地の神社はスサノオ・二ギハヤヒの

名前がわからないようにご祭神の名前を変えました。

このためスサノオ・二ギハヤヒには多くの別名があります。

前出のたかおかみ・くらおかみもそうですがほかにも

雷神(いかずちのかみ)・別雷神(わけいかずちのかみ)・

大海神(おおわだつみのかみ)それに

八大竜王もスサノオの別名です。

続きはまたね・・・グッド!

(クリック拡大/ウィキペディアより)

イッピーの独り言

(大山祇神社の大楠・・・(スサノオの孫の)乎千命(おちのみこと)が

自ら手植えと記録にあります。本当なら樹齢2000年近い)

ペタしてね

コメントを残す

メールアドレスが公開されることはありません。 * が付いている欄は必須項目です