陰陽師の謎 60 繰り返す歴史の謎

みんな元気ですかドキドキ

平安と言う時代・・・グッド!

聖徳太子には10人の人の話を同時に聞き分けたという話があります。

自然に解釈するとこれは彼の言語能力の事を言っていると思うのです。

太子はおそらく複数の外国語を話したのではないでしょうか。

同時に複数の外国人と違う言葉で話している太子を見た人が

この逸話を残したのかもしれません。

想像するに太子は古代ヘブライ語も理解していたのかもしれません。

旧約聖書はもともとはヘブライ語で書かれていたと言います。

「日いずるところの・・・」という旧約聖書の文言を知っていた事も

もしそうならつじつまが合うのです。

厩戸皇子と言う名前はキリスト教を連想させます。

太子が作ったと言われる八角形の夢殿はキリストが最初に説法を行った

イスラエルの北にあるガリラヤ湖のほとりの小さな小屋と形もサイズも

同じだと言われています。

こうしたもろもろの状況から想像すると聖徳太子はおそらく外国人でした。

先に述べたように風貌もおそらく白人にちかい顔だったのかもしれません。

聖徳太子がいた時代は外国と多くの交流がありました。

今では想像できないほどの沢山の外国人が京の都にはいたのかも

しれません。日本は外国に大きく開かれた国でした。

大型の外国船も瀬戸内海の航路を通って行き来していました。

陰陽師の安倍晴明も母親の血をひき白人の風貌だったかもしれません。

しかしいつの頃からか日本には外国人が多くいたことが歴史の記録から

消されてしまいました。ここにも藤原氏の影が見えるのです。

聖徳太子の記録に不自然さを感じることもその理由の一つです。

さて・・・

先の章で述べたように、藤原氏の立場で物事を見ると違った景色が

見えて来ます。

安倍晴明もそうですが外国の技術や知識はそれまでの時代に新風を

吹き込みました。特に聖徳太子はキリスト教に基づいた新たな人間の

価値観をもたらしました。太子はおそらく人間の命の大切さや愛の尊さを

人々に説いたのかもしれません。厩戸皇子と呼ばれキリストの誕生を

思わせる名前もここから来ているように思うのです。

しかし・・・

江戸時代の鎖国の最大の理由がこの人間愛の思想が封建制度に

とっては害悪だった事です。

同様に藤原氏にとってさらに日本を統一するためには人間愛を優先

していてはこれが邪魔になります。

日本と言う国を確立するためにはどうしても外国の新たな技術は必要

でした。秦氏のように外国からの帰化人も多く受け入れました。

しかし同時に外国の思想をそのまま受け入れることは出来ませんでした。

聖徳太子の記録は改ざんされました。太子が外国からの帰化人だった

ことも隠されました。太子が外国人だったということも歴史からすべて

消されてしまったのではないでしょうか。

おなじように・・・

スサノオもバールの神を頂く外国人だったのではないでしょうか。

藤原氏はスサノオや聖徳太子だけを歴史の記録から消したのでは

ないのかもしれません。

外国の影を全て消した可能性があります。

藤原氏には鎖国と言う発想はありませんでした。

自国だけで自立するには日本はまだまだ幼い国でした。

しかし日本を外国人の国にはしたくなかったのかもしれません。

平安時代の歴史の中で藤原氏の登場はやはり「必然」だった

ような気もするのです。

今は平成の時代「日本を取り戻す」必要を感じている

日本人も多くいます。

日本には深く静かに外国人の勢力が多く活動しています。

政治経済医療法曹教育福祉犯罪そして安全保障など

あらゆる現場に外国の勢力が闊歩しています。

日本人より優遇された地位を確率している現象も見られます。

本来日本人が望む方向とは違う方向へ導こうとする

勢力がいることも事実です。

現在の日本が難民の受け入れに極端に消極的な理由です。

歴史が繰り返しているような既視感を覚えるのです。

藤原氏をどうしても否定できない理由がここにあるのです。

続きはまたね・・・グッド!

(深いですね・・・目

ペタしてね

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