陰陽師の謎 55 古代やまとびとペルシャの旅

みんな元気ですかドキドキ

謎の古代王国エラム・・・グッド!

スサノオのルーツを探り横道にそれる旅を続けます。

少し過去記事より。

ペルシャ湾に沿ってイラン側に古王国エラムがありました。

(ウィキペディアより)

イッピーの独り言

(古代エラム王国)

エラムの人々は自らをハルタミと呼んでいました。

漢字で書けば「玻流の民」つまり遥かに長い道のりを超えて来た

流浪の民と解釈することが出来ます。

確証はありません。もう一つ別の意味に解釈する事が出来ます。

ハルの民とは「バール神」に使える民という意味だったかもしれません。

古代やまと言葉には濁音がありませんでした。

きれいな音を持つ言葉でした。

いずれにしてもこの「タミ」が「民」を表していた事は間違いないのです。

日本語の匂いが強くします。

そしてこのエラム古王国の首都がスーサと言います。

古代ペルシャの憲法である有名なハンムラビ法典もこのスーサから

発掘されており、いまではパリのルーブル美術館に保管されています。

余談ですが・・・

アメリカの憲法はこのハンムラビ法典を元にして作られていると

されています。現在アメリカには「リパブリック」という潮流があります。

憲法を「イルミナティー」の支配の解釈から見直し、イルミナティーを排除し、

原点回帰しようという動きです。この潮流が大きく広がっているため

盛んに内部不正告発が行われ、イギリスにも広がり、フリーメイソンの

メンバーの大量の逮捕者が出ていると言われています。

(参照過去記事→アメリカの新たな潮流リパブリック

この運動の主催者は既にオランダのハーグの国際司法裁判所にアメリカの

新たな憲法草案を提出したとされています。ハンムラビ法典は

この原点回帰した憲法のもとになっているとされます。先の章で

ご紹介したように、もしこのエラム王国が古代レムリア・やまと文明

の「民」が作ったものであれば、アトランティスとレムリアの戦いのカルマが

日米の大戦につながり、さらに古代レムリア・大和文明が作った憲法が

アメリカの原点になろうとしている事に不思議な因縁を感じるのです。

話を戻します

スーサは考古学上で分かっているだけでも、数千年のあいだこのエラムの

首都でした。おそらくは大洪水の後より続いているとすれば実際には

それよりはるかに長い間続いたみやこだったかもしれません。

エラムのアクロポリスには紀元前5000年に作られた宮殿も発見されて

いると言います。

(参照ウィキペディア→スーサ
)

(ウィキペディアより)

イッピーの独り言

(スーサで発見されたスフィンクス/ルーブル美術館蔵)

さらには・・・

古代ペルシャには「王の道」と呼ばれる整備された幹線道路がありました。

(参照ウィキペディア→王の道

全長約2700キロの大路です。日本の北から南の全体よりも長い距離です。

この道のりを伝令が7日間で走破したと言います。

ちなみに江戸時代薩摩から江戸までの参勤交代を歩き詰めで50日ほど

要したと言います。驚異的なスピードです。

この王の道の南の終点はエラムの都スーサでした。

北はシルクロードの西の終点につながり、西に行けばエジプトです。

古代やまとびとがこの道を通って来た可能性があります。

続きはまたね・・・グッド!

(砂漠の旅にはバンダナと毛布を・・・グッド!

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