みんな元気ですか
銀河宇宙は創造神・・・
人間も含めてすべては銀河の中心核である神が創造しました。
その人間は想像力を持っています。
その想像力も銀河の中心核が与えました。
宇宙には人間が想像できるものはすべて在るといいます。
なぜなら人が想像できるものはすべて神にとっては既知の物です。
ディズニーランドや白雪姫の世界やトゥモロウランドも宇宙の
どこかにあるようです。第三密度の世界ではないかもしれませんが
必ずあるようです。天使の姿や小さいおじさんたちの姿は多くの人に
目撃されています。密度の違う世界にアクセスする能力も神は人間に
与えました。必要な人には物をさわらずに動かしたり瞬間移動したり、
炎と友達になる能力を与えました。それらの能力は恐らくは
人の役にたつためにあるのかもしれません。
なぜなら自分を含めて特定の人のためだけに使ったら、その瞬間に
良くも悪くも自らがまいた種を刈り取る事になるからです。
イエスはそのことおそらく知っていました。イエスはそれらの超能力を
持っていたと思われます。しかしめったにその能力を使う事は
ありませんでした。教えに帰依する母親にどんなに亡くなった息子を
生き返らせて欲しいと頼まれてもイエスはそうすることはありません
でした。さらには自分を偶像化することや、宗教化することを厳に
戒めました。宗教が人間によって作られたその瞬間に
特定の人間のエゴの満足のためにそれが使われることを知っていた
からだと思えます。釈迦も同じです。
宇宙の構造と真理に関する教えは説きました。
しかし宗教にすることはかたく禁じたといいます。同じ理由で
イエスも釈迦も決して自らが書を残す事はありませんでした。
人間がそれを解釈し人間の都合がはいり込余地があるからです。
宇宙は大きな愛です。同時に自由意志を与えられています。
同時に物理の作用反作用の法則、すなわちカルマの法則に
縛られています。イエスも釈迦も自分が去った後の世に自分の
教えを利用する人々が現れる事を知っていたのかもしれません。
彼らは自らがそして利用した人々も同じカルマを背負う事になる
ことを知っていたのかもしれません。
宗教はその宗教に帰依しない人を排除します。宗教の宿命です。
宗教は人の都合だと言う事の理由です。
さて・・・
もしそうであるならば、人に迷惑さえかけなければ人は
何もしないでもいいのでしょうか。
実はその可能性があります。
神によって作られている以上人はそれだけで既に祝福されている
可能性があります。人の存在はそれだけで既に奇跡だと言います。
第3密度にいるだけで既に様々な試練を与えられています。
乗り越えるべき課題を自ら選択して生まれて来ています。
神はその大いなる叡智によって自らの計画を持っています。
神はすべての人類を次の密度の世界に導く事を計画して
いる可能性があります。
それこそが世界中の古代遺跡に残された第三の目のメッセージの
意味かもしれません。
人は時期が来れば自動的に次の第四密度の世界に移行する事を
古代遺跡の多くが物語っています。
それこそが「諦観」が教える意味かもしれません。
何気ない普通の日常のすべてが感謝と感動の対象であるという。
続きはまたね・・・
(すべてはあるがまま・・・)